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第5回 日本への伝来

2017年9月1日  カテゴリ:インターン, スポーツ

こんにちは。インターン生の鈴木です。
前回は野球のルールの変遷についてお話したところですね。今回は野球がどのようにして日本に伝わったかお話していきます。

1871年(明治4年)に来日した米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科(その後旧制第一高等学校、現在の東京大学)で教え、その後「打球おにごっこ」という名で全国的に広まりました。
従って、日本国内の野球の創世記の歴史は、そのまま大学野球の創世記の歴史と重なっています。
なお、ホーレス・ウィルソンは2003年(平成15年)、その功績から日本野球殿堂入り(新世紀表彰)しているそうです。ただし野球を「試合」と定義すると明治6年4月下旬,開拓使仮学校で既に始められていた可能性があるそうです。
ウィルソンが試合を始めたのは開成学校に運動場が完成した明治6年8月以降のことだそうです。
1878年、平岡ひろしが日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を設立し、1882年駒場農学校と日本初の対抗戦を行いました。
なお記録上で日本ではじめて国際試合を行ったのは青井鉞男が投手時代の旧制一高ベースボール部で、1896年(明治29年)5月23日、横浜外人居留地運動場で横浜外人クラブと対戦し29対4で大勝したそうです。
また、記録上で日本ではじめて米国人チームと試合を行った(日米野球)のも同部で、同年6月5日、雪辱戦として横浜外人クラブから試合を申し込まれ、横浜外人居留地運動場で当時の米国東洋艦隊の選りすぐりによるオール米国人チームと対戦し32対9で連勝しました。
急速な人気の高まりから、野球に対して賛否両論が巻き起こることもあり、1911年に東京朝日新聞が「野球と其害毒」と題した記事を連載し、野球に批判的な著名人の談話などを紹介した。
これに対して読売新聞などが野球擁護の論陣を張り、次第に野球に対するネガティブ・キャンペーンは沈静化していきました。
大学野球の盛り上がりは高校(旧制中学)にも広がり、1915年8月に大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催され京都二中が優勝。
第3回大会からは兵庫の鳴尾球場で開かれたが、観客増により手狭になったため1924年からは阪神電車甲子園大運動場で行われることになりました。
また夏の大会の盛況をうけ、同年春からは名古屋市の山本球場で全国選抜中等学校野球選手権大会が開催され、翌年からは甲子園球場で行われ、また1927年には企業チームによる都市対抗野球大会が明治神宮野球場で開かれました。

さて、今回はここまでです。本日も長い間読んでいただきありがとうございました。
参考元:ウィキぺディア/野球の歴史より

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