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山梨のひみつ『甲斐の虎』

2017年9月8日  カテゴリ:インターン, 山梨県

こんにちは、インターン生の内山です。第二回の今回は甲斐の武将、武田信玄を紹介したいと思います。

武田信玄は父である武田信虎が甲斐を統一した年に生まれます。信虎は有力武将と婚姻を結んだりして、合戦で勝利したりして甲斐を統一していきました。

そんな武田信虎は信玄が自分の存在を脅かすのではと考え、信玄の弟の信繁を可愛がります。

ですが、信玄が21歳の頃クーデタを起こし、信虎を駿河に追放します。

こうして、信玄は武田の長となりました。

武田の領地は財政が良くなかったため、信玄は戦いを仕掛け勢力を拡大させていきます。

信玄は信濃を侵攻する上で、村上義清に敗北しますが、真田幸隆を味方に義清を降伏させます。

敗北した村上義清は関東管領であった上杉に助けを請います。

こうして、有名な川中島の戦いになっていきます。

川中島の戦いは4回にわたって上杉と戦い結果的に勝利を収め、信濃を手に入れます。

その後、将軍の足利義昭からの書状を受けた武田信玄は、織田信長討伐の為出兵しますが、病のためこの世を去ります。

軽く信玄の人生を振り返って見ました。今度は信玄の特徴を見ていきましょう。

72戦49勝3敗20分。これは信玄の戦歴です(諸説あり)。非常に負けが少ないです。

信玄は非常に情報収集を重要視しており三ツ物という隠密組織をつくり、各地の情報を集めていました。

また、川中島の戦いでは弟を影武者として使ったりと非常に用心深いことが分かります。

そういったところが負けない戦が出来る事に繋がっていたのではないでしょうか。

また、信玄はにも人材登用に優れていました。大河ドラマにもなった風林火山の主人公、山本勘助は素性も不明でしたが、高い知略持っており軍師になります。

信虎に追放された内藤昌豊を呼び戻したり、農民の出身のの高坂昌信を登用したりしました。

こうした人を見る目を信玄は持っていました。

さて甲斐の虎、武田信玄を紹介しました。読んでいただきありがとうございます。

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