第3話 任天堂の歴史

皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
本日は第3話書いていきたいと思います。

ちょっとその前に私、ポケモンGOにとんでもなくハマっていまして、こないだ野生でカビゴンに出会ってときは思わず1人で声を上げてしまいました(笑)
実は、今はミニリュウが凄くほしいんですよね~たまーに出てくるんですが、ぜんぜんアメが集まりません。
こないだまですぐそこの世田谷公園にいたんですが・・・今はどこにいるのやら・・・早くたくさん捕まえてカイリューにしたいんですけどね・・・あーくやしい。

いつも関係のない話してすいません。では話はじめたいと思います。

やっぱりゲームといったら任天堂って私は思うのですが皆さんはどうですか?少なくてもゲームを別にしない人や大人でも1度はいや何度も聞いたことあるのではないでしょうか。
そしてほとんどの方が任天堂のゲームをやったことがあったり、またお家に任天堂のゲームがあるのではないでしょうか??私の家には、スーパーファミコン、NINTENDO64,ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブと様々な任天堂商品を持っています。
この誰もが知っている任天堂の今日は知ったら話したくなるような歴史について話していこうと思います。

まず初めに任天堂っていつできたの???という話からです。

実は任天堂の歴史はとても深くなんと創業は1889(明治22)年、有名な工芸職人だった山内房治郎が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌」を創立、花札の製造を開始したのが始まり。花札の裏に「大統領」の印を押した「大統領印の花札」は関西の賭博場で広く使われた。プロの博打打ちは勝負のたびに新しい花札を使ったから、任天堂の花札は良く売れたのです。1902(明治35)年に日本で初めて国産トランプを製造したのも山内房治郎である。
このときはゲーム機などが無い時代なので任天堂は初めはカードゲームの会社であったのである。

しかも花札!!これはなかなか知らなかった話ではないでしょうか??

が、その後70年間はいいもの生み出せずにいて何度も倒産の危機に立たされていたのです。

しかし1983年、任天堂は皆さんご存知であるテレビゲーム「ファミリーコンピュータ」(略称:ファミコン)を発売した。テレビにつなげると、ブラウン管の画面を利用してさまざまゲームが楽しめるカセット式ゲーム機である。山内は粗悪なソフトに依存しなければ成功すると判断して、独自のソフトを開発した。任天堂は最後発のテレビゲーム機メーカーで、「もう遅い」との声が高まるなか、山内は一気に100万台を超す大量生産を決断、販売価格を1万4800円とした。3~5万円はする他社のゲーム機の半値以下という破格の値付けだった。

ファミコンは、子供たちの間で爆発的な人気を呼んだ。ファミコンの大ヒットで、任天堂は黄金期を迎えた。花札とトランプをつくっていた同社は、「ゲームのニンテンドー」へと大変身を遂げたのである。

その後は皆さんがご存知のようにNINTENDO64,DS,Wiiなどを発売し世界に冠たる優良企業に成長し、誰もが知っている企業へ成長してのである。

また、社長の山内だが、個人としては、92年、大リーグ、シアトル・マリナーズの筆頭株主になり、イチロー選手の活躍でオーナーとしての存在が脚光を浴びた。「イチロー獲り」はオーナーだった山内が直接、指示したといわれている。

これはなかなか知らない話だったんではないでしょうか。
長かったですが最後までありがとうございました。

次回は自分の好きなゲーム、そのゲームの歴史について書いていきたいと思います。
お楽しみに~~

参考文献
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2976.html

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