ゴーギャンの履歴書

インターン生の野中です。今回で7回目。

先日、上野国立博物館で「ゴッホとゴーギャン展」が開催されることを知りました。ついこの間ゴッホの話を書いたばかりだったので今日はポール・ゴーギャンの紹介をしていきたいと思います。

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彼は1848年にパリに生まれます。父は共和主義のジャーナリストでした。しかしナポレオン3世のクーデターで職を失ってしまいます。一家はパリを離れてペルーに向かいます。ところがその航海中に父が急死してしまいます。残されたポールと母と姉は、リマに住む叔父を頼ることになり、ポールが7歳の時に、一家はフランスに戻ります。このときスペイン語で育ってきたポールはフランス語を身に付けました

ポールは地元の高校に通い、その後カトリック系の寄宿舎学校に三年間通い続けます。14歳の時に海軍予備学校に通い、卒業後は商船の水先人見習になります。もしかすると航行中に亡くなった父へなにかしら思いがあったのかもしれませんね。

三年後、ポールはフランス海軍に入隊します。二年間勤務したのち、知人の口利きによってパリ証券取引所に転職し、株式仲買人として働きはじめます。その後11年間で彼は実業家として成功を収め28歳で年収3万フラン(およそ60万円)と絵画取引でも同じくらいの収入を得ていたそうです。

株式仲買人として成功した彼は余暇に絵を描くようになります。パリには画家の集まるカフェも多くポールは画廊を巡ったり、画家の作品を買ったり、著名な画家と一緒に絵を描いたりします。つまりはゴーギャンは仕事の息抜きをする趣味として絵を描き始めました。

ところが1882年ポール34歳のときにパリの株式市場が大暴落してしまいます。絵画市場も大打撃を受けて、ゴーギャンの絵画取引は買主がいなくなったことで停止してしまいます。

収入の激減したポールは画家として生きていくことを考え始めます。

ポールは画家として生計を立てていこうと決意しましたがやはり、現実は厳しく、困窮してしまいます。雑多な仕事をしながら、妻の収入で何とか生活していきます。株式仲買人をしていたころとは一変して生活は貧しくなってしまいます。

1888年ポールはゴッホと共同生活をしています。9週間ほどで終わってしまったこの共同生活の後もポールはゴッホを本当に友人だと思い文通をよくしていたそうです。

文明の進んだヨーロッパ社会に疲れてしまったポールはタヒチに旅行を決めます。タヒチは彼の人生に大きな影響を与えます。

彼はタヒチの文明に汚染されていないところを気に入りタヒチをテーマに絵を描きます。しかしヨーロッパではほとんど評価を得られませんでした。

妻とも離婚したポールはタヒチに移り住み晩年までそこで絵を描き続けることになりました。

彼は株式仲買人という文明的な仕事から画家に転職した「脱サラ」タイプの画家でした。ポール・ゴーギャンが再評価されたのは遅く、死後でした。生前はほとんど評価されずなかなか恵まれない人生を送ります。しかし彼が現代のアートの先駆けとなったことは間違いないのでした。

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