マグリットの履歴書

こんにちはインターン生の野中です。残念ながら明日で最後になります。
今日まで紹介した画家は根っからのアーティストでした。しかし中にはもっと普通の暮らし方をした人もいました。

マグリットは1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれました。一家はマグリットの生まれた翌年にはジリという町に移り、1904年シャルルロワ近郊のシャトレに移る。少年時代の大部分をシャトレで過ごした。マグリットが13歳のとき母が原因不明の入水自殺をとげるという事件がありました。これは少年マグリットにとっては当然のことながら大きな衝撃を与えました。

12歳の頃から油絵を学んでいたマグリットは1916年ブリュッセルの美術学校に入学しました。卒業後は兵役につき、1922年から翌年までは生活のため壁紙工場で図案工をしてキャベツやバラの図案を描いていました。その後は1926年まで広告デザインの仕事をしています。商業的な活動が多かったようです。

1926年、マグリットはCentaure画廊と専属契約を結ぶことに成功し、画業に専念することが出来るようになりました。翌年画廊ではじめての個展を開催します。しかしながら、あまり評判を得ることは出来ませんでした。

 働かなくても絵の収入で暮らせるようになったマグリットは、この年ブリュッセルから憧れのパリへと旅立ちます。パリでは、多くのシュールレアリストたちと友達になりました。このことがのちの作風に影響を与えます。
ところがせっかく契約できたCentaure画廊が潰れてしまい、生活費が無くなってしまいました。やむなく、マグリットは翌年にブリュッセルへと帰ることにしました。ブリュッセルに戻ったマグリットは、弟のポールと広告代理店をはじめました。

マグリットの生涯は、波乱や奇行とは無縁の平凡なものであった。ブリュッセルでは客間、寝室、食堂、台所からなる、日本式に言えば3LDKのつましいアパートに暮らし、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝するという、どこまでも典型的な小市民でした。残されているマグリットの写真は、常にスーツにネクタイ姿で、実際にこの服装で絵を描いていたそうです。彼は専用のアトリエは持たず、台所の片隅にイーゼルを立てて制作していたいました。制作は手際がよく、服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることはなかったといいます。

彼は「サラリーマンタイプ」かれは広告などの商業をして、生計を立てていました。絵画だけで活躍しようとしていた他の画家とは違って、現実的で平凡な生活をしていました。しかし彼の描く作品は不思議な世界で普通ではありません。そのギャップに惹かれるのかもしれませんね。

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