過去の賢者達 ベートーヴェン編

こんにちは。インターン生の坂本です。
今回は画家ではなく音楽家のベートーヴェンを紹介していきたいと思います。

 皆さんベートーヴェンという名前は音楽の授業などで聞いたことがあると思います。音楽家の中で五本指に入るほど有名なかたですね。
そんな彼でも若い時にさまざまな困難にぶつかります。それでは簡単な来歴を紹介します。

 1770年12月神聖ローマ帝国のボン(地名)で生まれます。ちなみに神聖ローマ帝国とは現在でいうとドイツ、オーストリア、チェコ、イタリアの北部に存在国家ですね。ボンは今ですとドイツにあたります。
ベートーヴェンの祖父は宮廷歌手であり、父親も歌手であったのですが、家計は祖父に頼っていました。しかし、1773年に祖父が他界してからは6歳で宮廷演奏で名を馳せていたモーツァルトのようにするために、父親に音楽のスパルタ教育を受けます。そして10歳になるころにはベートーヴェンが家計を支えるようになっていました。

 1787年ウィーンを訪れ、尊敬していたモーツァルトを訪問するが、母親の体調が悪化しボンに帰ります。しかし、その後母親は他界してしまいます。そしてその後、家族の世話に追われる日々をすごします。
そんな彼にも人生の転機が訪れます。1792年ボンに立ち寄った「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」という作曲家に才能を認められ弟子入りし、ウィーンに移住し、そしてついにピアノの即興演奏の名手として有名になりました。
 だがしかし、また次なる苦難が彼に訪れます。20歳の頃より持病の難聴が悪化し始め28歳のときについにほとんど聞こえなくなってしまいます。このときベートヴェンは遺書まで残し自殺を考えますが音楽への情熱でこの苦難を乗り越えます。

 その6年後1804年交響曲3番を発表してから1814年までの10年間は「傑作の森」と呼ばれ、「エロイカ」「運命」などの多くの名作を生みました。ちなみにこの時期に作曲した曲はベートーヴェンが生涯作曲した楽曲の半数を占めるほどの量だったそうです。

 また40代になると全く音が聞こえなくなり持病に苦しめられながらも「交響曲第9番」や「ミサ・ソレムニス」を作曲しました。
そして1826年12月に肺炎を患い、翌年3月肝硬変により他界しました。最後にベートーヴェンは「諸君喝采を。喜劇の終わりだ」とつぶやいたそうです。

 このように歴史に名を残す人は何かしらの苦悩などを抱えている場合が多いですね。しかしベートーヴェンのように取り組んでいる事への情熱だとか愛情が苦難を乗り越える上で大事だと思いました。

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