過去賢者達 フリーダ編 記事 過去の賢者達

どうもインターン生の坂本です。
今回はフリーダ・カーロというメキシコの女性画家を紹介したいと思います。

彼女はメキシコの有名な画家ですね。

それでは簡単な来歴を紹介したいと思います。

フリーダは1907年7月6日メキシコシティの近郊にあるコヨアカンに生まれます。
普通の生活をしていたのですがメキシコ革命の勃発により生活が厳しくなります。そしてフリーダが6歳の時、急性灰白隨炎というウイルス感染症にかかり9か月寝たきりの生活を送っていました。この影響で右腿から踝にかけて成長が止まりやせ細ってしまい、それをよくするため、色々なスポーツをしたが元に戻ることはなかったそうです。

そんな彼女をリハビリを兼ねて父親は良くハイキングに連れていき、父親の趣味であった水彩画やカメラをフリーダに教えていたそうです。その後メキシコの最高教育機関の国立予科高等学校へ進学し、父親の友人の広告デザイナーにスケッチを習い画家を目指すようになりました。
 しかし、1925年9月、バスでの通学中路面電車とバスが衝突し、多数の死傷者が出る事故が発生しました。
フリーダも生死をさまよう重症で、3か月の間ベッドから動けませんでした。その痛みと暇を忘れるために本格的な絵を描くようになったそうです。

1928年フリーダはメキシコ共産党へ入党します。そこで夫となるディエゴ・リベラと出会います。そこでお互いに作品を見せ合い互いに感銘をうけた二人は結婚します。しかし、フリーダは2度妊娠しますが事故の影響で2度とも流産します。また、夫のリベラが妹のクリスティナと関係を持ち大きな心理的負担をもちます。

ちなみにこの年に発表した「ちょっとした刺し傷」はこのときの感情がでて、グロいですねw

1938年大規模な個展を海外で開きます。そこで高評価を得られたフリーダはニューヨークで再び個展を開き、絵の注文が多々舞い込むようになりました。しかし、フリーダの成功と多忙な日々により夫婦仲は崩れ1939年離婚が成立した。そして作品制作に没頭していたが真菌性皮膚疾患にかかったため作品制作が続けられなくなりました。
その後健康状態が安定した頃、フリーダは再びリベラと再婚しました。またこの年からメキシコ内でフリーダは有名になり、様々な賞を受賞し、複数の委員会に選出され、講師の仕事や雑誌の寄稿などが求められた。

しかし、健康上の理由により学校に通うことが困難になったフリーダは才能ある生徒を抜擢し絵の指導に尽力しました。
1940年代後半からフリーダの健康状態はさらに悪化していき、壊死したので指を切り、鎮痛剤では抑えられない痛みが右足を襲ったので、右足を切断しと治療を繰り返すが1954年肺炎を併発して亡くなりました。

彼女のように若いうちから身体的不幸が多く降りかかっても作品制作に没頭できるような忍耐力と精神力。また、その時の感情、痛み、苦痛などを作品に投影するスタンスは尊敬しなくてはなりませんね。
それではお付き合いありがとうございました。

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