過去の賢者達 ゴーギャン編

どうもインターン生の坂本です。
今回は、ゴーギャンについて紹介したいと思います。

それでは簡単な来歴を紹介します。

1848年6月7日にパリで生まれました。この年は「2月革命」が起こった年です。ちなみに2月革命とはフランスで起こった革命です。
1851年ナポレオン3世のクーデターにより父親職を失ってしまいます。そして家族でペルーに向かうのですが航海中に父親が急死してしまいます。
そのため、残された家族は祖父を頼り過ごしていました。ゴーギャンが7歳の時父方の祖父を頼りオルレアンで生活するようになりました。オルレアンで生活するうちにゴーギャンはフランス語を身につけました。

ゴーギャンが13歳の時、パリの海軍予備校に入学しようとするが、受験に失敗します。それなので商船見習いになり世界の海をめぐるようになりますが、1867年母親が亡くなります。しかし、ゴーギャンには亡くなったことはすぐには知らされず、数ヶ月後インドで、姉からの知らせで知ります。
 
 1868年から2年間フランス海軍に入隊し、その後株式仲買人として働き、実業家として成功し、また絵画取引でも成功しました。その株式仲買人としての仕事を始めたころからゴーギャンは暇を見つけては絵を描くようになりました。

1873年ゴーギャンはデンマーク女性と結婚します。そして5人の子供を授かります。
株式仲買人としての仕事を始めたころからゴーギャンは暇を見つけては絵を描くようになりました。またその時期にカミュー・ピサロと知り合い一緒に活動するようになったり、ピサロを通じて色々な画家と交流を持つようになりました。その後印象派展に絵をだすなどの活動をしました。

1882年パリの株式市場が大暴落し、また、ゴーギャンから絵を買い入れていた顧客も恐慌の影響を受け買い付けを停止したのでゴーギャンの収入は急減しました。その後ゴーギャンは絵画を本業とすることを考え始めます。

その後も、住まいを移し新しい事業を始めるなどの生活の建て直しを図りますが、失敗し、1885年息子をつれパリに戻り妻や知人の助けにより生活していました。画家として生計を建てようとしますが、困窮して雇われ仕事などをしていました。

1886年に最後の印象派展となった第8回展に出品しました。それには当初の印象派メンバーは出品しておらず、若き画家たちが多く出品しました

この時より新たな時代の「後期印象派」が始まったと言われます。ゴーギャンも独自の表現を求めて活動する時期が始まりました。
このころフィンセント・ファン・ゴッホと出会います。そしてゴッホと共同生活を送るなどゴーギャンにとって刺激的な時期だと思います。しかし、次第にゴッホとの関係性が悪化し9週間で共同生活は終わったという。
ちなみにゴーギャンの回想によればゴッホが剃刀をもって襲ってきたという出来事がありその晩ゴッホは左耳を失ったそうです。
その後二人は文通だけの関係になり会うことはなかったそうです。

1891年から本格的にタヒチに渡り精力的に活動を始めました。独自の表現を追及する中で、「野生」と「情熱」という表現したい明確な対象が出来たことで南国への憧れが強くなっていました。
同年2月には旅行費を稼ぐ為に自身の作品を競売にかけてたそうです。その2ヶ月旅立ち、6月にタヒチに到着しました。一年間滞在し、帰国後パリでタチヒで制作した作品を展示しました。

1894年頃妻との破局が決定的になり破局しました。
1895年再びタヒチに向かうべく、2月に47点の作品を競売にかけ旅行費を工面しようとしました。
しかし、売れたのは9点のみであった。
ゴーギャンは失意の中でタヒチに旅立ち、9月にパペーナに到着した。
タヒチで出会ったパウラという14歳の少女と同棲を始め、妻にし男の子と女の子が出来るが、女の子の方はすぐに亡くなってしまいました。
また、その翌年には長女アリーヌの死の知らせを聞き、立て続けの不幸により体調が悪化しました。
この精神的、肉体的な苦痛を作品にぶつけた「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか」を12月に制作した。この頃、砒素を飲んで自殺を図っていることから「我々はどこから来たのか・・・」はゴーギャンの遺書的な作品であるとされている。

1901年9月にタヒチを離れマルケサス諸島のヒバ・オア島に住み始めました。ここで新たな家を建て、自身の芸術を最終段階まで完成させる為に活動を続けていた。またここでもゴーギャンは現地の14歳の少女を妻とし子供を一人授かりました。

その後、島の国家憲兵や部下の汚職や無能力を告発しようとしたが名誉棄損で禁固刑と罰金を宣告されるなど苦悩の日々は続いていきまた、体調がどんどん悪化していきました。
禁固刑が宣言された1903年3月に控訴の準備を始めていたが、その2か月後の5月8日に突然倒れそのまま死去した。54歳であった。

ゴーギャンの死亡の知らせは1903年8月23日までフランスに届くことなく、財産などは9月5日の競売にかけられ処分された事で、ゴーギャンの晩年の記録が失われてしまったと言われています。

若いときに成功と挫折を経験しさまざまな人生経験を得たゴーギャンは成功を知っていたからこそ返り咲きたい気持ちが強かったと思いますし、苦難を抜けるため絵画に打ち込み続け、自分へプラスになると思ったらどこへでもいくゴーギャンのその行動力が成功へつながったのかなと考えました。

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