過去の賢者達 リスト編

どうもインターン生の坂本です。
今回はフランツ・リストという音楽家を紹介したいと思います。

リストは超絶的な技巧を持つ当時最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれ、どんな曲でも初見で弾きこなしたという逸話があるほどの技巧派ピアニストですね。

その技巧と音楽性から「指が6本あるのではないか」という噂がまともに信じられていたらしいですw
彼の死後、彼を超えるピアニストは現れないだろうと言われているそうですね。

それでは簡単な来歴を紹介します。

1811年10月22日にオーストリアで生まれました。

父親の手引きにより幼少時から音楽に才能を現し、10歳になる前にすでに公開演奏会を行っていました。
リストは、1822年にウィーンに移住し、ウィーン音楽院でカール・ツェルニーおよびアントニオ・サリエリに師事します。

1823年にはパリへ行き、パリ音楽院へ入学しようとしましたが、当時の規定により外国人であるという理由で入学を拒否されました。

1827年には父アーダムが死去し、僅か15歳にしてピアノ教師として家計を支えていくようになります。
教え子であったカロリーヌ・ドゥ・サン=クリック伯爵令嬢との恋愛が、身分違いを理由に破局となってしまいます。

ピアニストとしては当時のアイドル的存在でもあり、女性ファンの失神が続出したとの逸話も残っています。また多くの女性と恋愛関係を結んでいました。
特に、マリー・ダグー伯爵夫人と恋に落ち、1835年にスイスへ逃避行の後、約10年間の同棲生活を送ります。2人の間には3人の子供が産まれました。
リストは晩年、虚血性心疾患・慢性気管支炎・鬱病・白内障に苦しめられていました。晩年の簡潔な作品には、病気による苦悩の表れとも言うべきものが数多く存在しています。
そして1886年、バイロイト音楽祭でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を見た後に慢性気道閉塞と心筋梗塞で亡くなりました。

ここまでやって思うのは芸術家の人は若いうちに親をなくしている人が多いですね。
ピアノで生計をたてるには技術が必須になってくるので必死に練習し苦難を乗り越えたんだと思いましたね

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