過去の賢者達 シューベルト編

どうもインターン生の坂本です。
今回はシューベルトについて紹介したいと思います。

それでは簡単な来歴を紹介します。

シューベルトはウィーン郊外のリヒテンタールで生まれた。
父はアマチュア音楽家で、5歳の時父から普通教育を受け始め、6歳の時リヒテンタールの学校に入学しました。この頃、父はシューベルトにヴァイオリンの初歩を教え始めました。
7歳頃になると父親の手に余るほどの神童振りを発揮し始めたため、父親はシューベルトをリヒテンタール教会の聖歌隊に預けることにしたそうです。

1808年シューベルトはコンヴィクトという学校の奨学金を得ました。その学校はアントニオ・サリエリの指導の下にあり、ウィーン楽友協会音楽院の前身校で、宮廷礼拝堂コーラス隊養成のための特別教室をもっていました。
ここにシューベルトはおよそ17歳まで所属しました。献身的にシューベルトに尽くした友人達の多くはこの当時の同級生で、多数の友人達が自分達の小銭で貧しいシューベルトを助け、彼には買えない五線紙を買って与え、誠実な支持と励ましを与えてシューベルトを助けていました。
そこで作曲を始め1810年から1813年に多くの楽曲を作成しました。
1813年の終りにシューベルトは変声期によりコンヴィクトを去り、兵役を避けるために、父の学校に初級生のための教師として入職しました。

1816年コンヴィクト時代からの友人シュパウンの家でシューベルトの歌曲を聞きなじんでいた、法律学生フランツ・ショーバーがシューベルトを訪問して、学校での教師生活を辞め、平穏に芸術を追求しないかと提案した。シューベルトは音楽監督に志願したが不採用になったばかりで不満がたまっていたので決断し、シューベルトはショーバーの客人となりました。

しかしこの時教師をやめたし、公演で稼ぐことも出来なかった為シューベルトは貧乏でした。
しかし、友人達は宿や食料を与えたり、金を持っている者は楽譜の代金を支払った。

1825年ついにシューベルトに幸福が訪れます。出版は急速に進められ金銭的問題はなくなりました。夏にはシューベルトが熱望していた北オーストリアへの休暇旅行をしました。旅行中に、「ノルマンの歌 」、「囚われし狩人の歌」や「ピアノソナタ イ短調」を作曲、歌ではこれまでの作曲で得た最高額の収入を得ました。

1826年から1828年にかけてずっとウィーンに留まりましたがその間、たびたび体調不良に襲われます。

その後シューベルトは『冬の旅』などの校正を行っていたが、と病状が悪化して高熱に浮かされるようになり、1828年に兄フェルディナントの家で死去した。

シューベルトは決して良い生活を送ってきたわけではなく本来ならまともに音楽活動をできるような状態ではなかったのですが、友人の助けにより苦難を超えてこれたと思うので人間関係は大事だと感じました。

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