独眼竜 伊達政宗

インターン生の今野です。

第4回は伊達政宗を紹介したいと思います。

伊達政宗の名前は日本人ならば誰もが一度は聞いたことはあると思います。教科書に大々的に載っているわけでもないにもかかわらず知名度は抜群です。ご年配の方は平均視聴率39.7%という驚異の数字を叩き出した渡辺謙主演の大河ドラマ「独眼竜政宗」、若者はゲームの影響が大きいのでしょう。鎧の格好よさ、国外に目を向ける先見性、破天荒な振る舞いなどが日本人には受けたのだと思われます。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%94%BF%E5%AE%97

政宗は幼いとき天然痘という伝染病にかかり、右目の視力を失ってしまいます。これを不吉に思った母の義姫は政宗を可愛がることはしませんでした。しかし、父である伊達輝宗その才能を期待されていました。

1584年、政宗は18歳で伊達家を継ぎます。この頃すでに日本の中央では豊臣秀吉による覇権が確定していました。伊達政宗はその後、蘆名氏などの近場の戦国大名たちに次々と戦いをいどみ勢力を拡大させ。1590年には奥州の3分の1を支配し、大大名となりました。よく「東北の覇者」として東北地方一帯を支配していたと思われている方もいますが、それは間違いです。

1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉は、関東一帯を支配していた北条氏を攻めたとき、政宗に家臣になるように求めてきました。政宗は寸前まで迷いましたが、秀吉に従う道を選びます。秀吉の下へたどり着いた政宗でしたが遅すぎるたため、激怒寸前の秀吉。そこで政宗は死ぬ覚悟であることを示すため、白装束を着て秀吉に謁見しました。派手なパフォーマンスが好きな秀吉は政宗を許すことにしました。

秀吉の没後、関ヶ原の戦いでは東軍に味方し最終的に外様大名では前田家に次ぐ62.0 万石を領有し、仙台藩の藩祖となりました。生まれた頃には群雄割拠の時代が終わりつつあり、すでに覇権が確定してりたため、真実か分かりませんが政宗自身「20年早く生まれてれば天下をとれた」と口にしたといわれています。

個人的に伊達政宗は戦国一の世渡り上手という印象です。戦うときには戦う、謝るときには謝る。破天荒エピソードが山ほどある政宗ですが、状況をよく見極め、冷静に判断できる人物であったと私は思います。「20年早く生まれてれば天下をとれた」かどうかの件に関しては、20年早く生まれていても全盛期の蘆名氏を相手にすることになり、たとえ蘆名氏を倒したところで、関東の北条や越後の上杉を相手にすることになるため、正直言いすぎかなと思います。ただ家臣の支倉常長を強大なスペインへ派遣するなど、先見性や創造性は素直に感嘆します。

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