1990年代中盤から1990年代後半

こんにちは。インターン生の堀米彬宏です。

第四回である今日は、1990年代中盤から1990年代後半についてお話していこうと思います。

この時代からはROMカセットはほとんど使われず、
光ディスクがソフト媒体の代わりを務め始めます。
光ディスクには読み込みに時間がかかるという難点がありましたが、
データ容量が大きくさらに生産性が高いので、安価にゲーム媒体を量産できました。
これによってゲームの規模が拡大、音質も向上し、ムービー再生による演出が広がりました。
本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機も出てきてゲーム内の表現の幅が劇的に広がりました。
コントローラーも振動機能やアナログスティックを備えたものが出てきました。
しかし、ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフト会社も出てきます。

この時期から2000年代初頭にかけてハードの性能競争、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)が最高潮でした。
主要機はPlayStation、セガサターンの2機種です。
この時期でゲーム機市場に新規参入したSIEのPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、
サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立ちました。
セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せましたが、
コストカットしにくいハード構成であるせいでPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされ、
北米で米セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いがでてしまい、
結果的にユーザーの混乱を招いて共倒れになり、海外市場で不評を買ってしまいました。
任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指しました。
しかし、他社に比べて発売が大きく出遅れた上に、旧来的なROMカセットを採用したため、ソフトウェア価格は高めであり、
価格競争も低く、北米では成功したものの、主流にはなれませんでした。

北米最大のコンシューマーゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、
3DO社を設立してゲーム機市場に参入しました。
ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えてきた
アタリが、この年代を最後にハード事業において四半世紀にわたる長い休眠期間に突入し、
コモドールが倒産しました。
それによってゲーム用途で使われるパソコンはPC/AT互換機がほとんどになりました。
Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流でしたが、
DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となりました。
マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多く抱える大手ゲームメーカーとなり、
続く2000年代初頭でついにコンシューマ機に参入しました。

次回は、1990年代末から2000年代初頭にかけてお話ししていこうと思います。

参考url
ゲーム機 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%A9%9F

PC/AT互換機 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/PC/AT%E4%BA%92%E6%8F%9B%E6%A9%9F

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