第六天魔王 織田信長

インターン生の今野です。

第九回は織田信長について紹介したいと思います。

誰もが知っている信長ですが、実は何をやったかは知らない人が多いのではないでしょうか?

引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

織田信長は尾張(現在の愛知県東部)を治めていた織田家の嫡男として生まれます。幼少時から何か奇行を繰り返していたため、「尾張の大うつけ者」と呼ばれていました。織田家周辺には美濃(現在の岐阜県)を治める斎藤家、駿河、遠江を治める今川家がいました。父である織田信秀が死去し、信長が家督を相続してから7年後、信長に最大の危機が訪れました。北条家、武田家と甲相駿三国同盟を結んだ今川家が後顧の憂いなく大軍で尾張へ攻めてきました。

当時、天下に最も近いと言われていた今川家40000の兵を5000の兵で迎え撃つことになります。信長は当主の今川義元が桶狭間で休憩中に奇襲を仕掛けます。天運もあって奇襲に成功した信長は今川義元を討ち取りました。当主を討ち取られた今川家は撤退し、これに乗じて今川家に従属していた徳川家康も三河で独立、今川家は一気に衰退しました。信長は背後を固めるために徳川家康と同盟を結び、勢力を拡大させていきます。

斎藤家を滅ぼし美濃を掌握すると、京から追われた後の15代将軍足利義昭が信長のもとに身を寄せると、義昭を奉じて上洛することを大義名分として京方面にも勢力を拡大させていきました。上洛を果たし、義昭を将軍に立てると、室町幕府を傀儡政権としてさらに勢力を拡大させました。傀儡化されていることに不満を持った義昭は信長の周辺勢力に工作を行い信長包囲網を築き上げます。

この後、信長包囲網が3回にわたり築かれるが、織田家を滅ぼすまでにはいかず全て失敗に終わります。その間に信長は近畿をほぼ掌握しました。当時の近畿地方は京を中心に土地が豊かであり人口も集中していて、近畿を掌握すればあとは物量で勢力を伸ばしていくだけでした。そうして天下統一手前までいった信長でしたが、1582年に起きた本能寺の変により横死します。その後の織田家は所領を家臣の秀吉にのっとられ、逆に秀吉の家臣となってしまいました。

信長に残虐なイメージを持っている人は多いのではないのでしょうか?
確かにそのようなエピソードは多々ありますが、ほとんどは合理性に基づいており、相手の自業自得じゃないかと思えるようなものが数多くあります。アフリカ人の家臣である弥助とのエピソードなどを知ると、結構な面白おじさんなのではとも思えます。信長の天下取りが豊臣秀吉や徳川家康の天下取りの基盤となったと考えるとやはり日本史のなかでも有数の偉大な人物であると思います。

余談ですが、本能寺の変では信長が殺害されたことも重要ですが実は、跡継ぎである織田信忠も近くの二条城で殺害されています。信忠は信長には及ばないものの優秀な武将であり、信忠が生きていれば織田家も内部分裂を起こさずにすんだのではないかと思います。信忠は逃げようと思えば逃げられたといわれているが、逃げずに戦ってしまいました。信長なら即、逃げていたことでしょう。

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