4~10世紀までの西洋の鎧について


みなさん、こんにちは。前回は騎士のなり方と騎士団について説明しました。
今回からは鎧の歴史について説明します。まずは4~10世紀までの時代背景の説明です。俗にいう「暗黒時代」です。

4世紀以降のヨーロッパは「暗黒時代」と呼ばれるまさに戦乱の時代でした。中世前期は、西ローマ帝国の衰退に続いて始まり、後には中世盛期(1001年-1300年)が続きます。この時代には、古典古代後期に始まる人口減少、特に都市部での人口減、交易の衰退、移民の増加が継続した。また、この時代の文芸作品や文化的創造物が、特にヨーロッパ北西部において相対的に少ないことを強調して、「暗黒時代」と呼ばれてきた。しかし、これらの傾向はこの時期の後半には反転する。滅亡を免れた東ローマ帝国は生き残り、7世紀にはイスラーム帝国がかつてのローマ帝国の版図のかなりを占領し、イベリア半島では後ウマイヤ朝が栄えた。西ヨーロッパでは800年にカール大帝により皇帝の称号が復活し、大帝のカロリング帝国はヨーロッパの社会構造と歴史に大きな影響を与えた。封建制度の中で体系的な農業が復活し、三圃制やヘビー・プラウ等が発明された。蛮族の入植はヨーロッパの多くの地域で鎮静化したが、北部はヴァイキングの侵攻によって大きく影響を受けた。
この戦乱の時代において、キリスト教は強大です。ヨーロッパに次々に侵入してきた戦士集団は、信条や聖書に基づいた安定した戒律、よく発達した哲学的な伝統で連合した教会を受け継いだ。野放しの乱暴者に過ぎなかった戦士達に、宗教という制約がかけられたわけです。10世紀には「神の平和」という概念が生まれ、キリスト教の名の下に、教会への冒流と弱い民衆への攻撃が禁じられたのです。また11世紀に生まれた「神の休戦」では教会の平和運動が発展していった。こうしてキリスト教と深く結び付いた封建戦土、「騎士」が生まれました。この宗教的情熱はヨーロッパに秩序をもたらす一方で、十字軍へとつながっていきました。

後期ローマ帝国軍団兵
西洋史に不滅の足跡を残したローマ帝国は、395年に東西に分割され、西ローマ帝国は476年に滅亡します。ローマ帝国軍団兵が最終的に着用していた甲冑は最盛期のものとはだいぶ異なり、むしろ後の中世紀前期の甲冑との関連性を感じさせます。

ゴート族
ゴート族はドイツ東部に居住していたゲルマン民族の一派であり、4世紀にローマ領内に押し寄せました。いわゆる「ゲルマン民族の大移動」です。ローマ滅亡の原因の一つとされていますが、傭兵としてローマ防衛に当たった側面もあります。」

アングロ・サクソン人
アングロ・サクソン人とは、5世紀ごろにイングランドに侵入し、最終的にはその支配者となったゲルマン系民族の総称です。彼らが用いた甲冑も、かつてイングランドを統合していたローマの文化から強く影響を受けていました。

ヴァイキング
ヴァイキングはスカンディナヴィア半島に起源を持つ海賊達のことで、9世紀から11世紀にかけてヨーロッパ全域を荒らしてまわりました。彼らの武装は非常に簡素なものでしたが、その後の中世ヨーロッパにおける武器、甲青の原型となっていきました。

参考文献:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%89%8D%E6%9C%9F#%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%B4%A9%E5%A3%8A:_372%E5%B9%B4%E2%80%93410%E5%B9%B4
渡辺信吾(2017)『西洋甲冑&武具 作画資料』玄光社出版

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