吸血器の宴 3/3

こんにちは。

MBAのインターンシップに参加させていただいている、高橋樹と申します。

私の更新する記事も、これが最後のものとなりました。最後の更新は、“吸血器の宴”のラストまでです。

このパートのメインである、貴音と首長の決戦シーンは非常に力を入れて書きました。この作品のハイライトと言えるでしょうね。ここまでの戦闘シーンが貴音の一方的な無双であったため、双方の格を落としすぎないようにバランスを考えて戦闘を描写する事に気を遣って執筆しました。

戦闘における活躍は貴音が独占しているためこの作品の主人公は貴音であると考えられる方も多いでしょう。確かにキャラクターとして先に存在していたのは貴音であり、楓は貴音を主役に据えた物語を成立させるために生み出されたという側面は持っています。しかし、やはり物語として重きを置かれているのは楓から見た貴音の姿であるため、作者の解釈としてはあくまでも楓を主人公であると考えています。

ちなみに、この作品はシリーズの始まりの作品として制作されました。執筆時点でシリーズの構想自体はあったものの、実際に書く予定は無かったため本題に章題は記載されておらず、締めの部分に章題が追記されている形となっています。

この場で見せることはできませんが、楓と貴音の関係はシリーズを通しての主軸でした。この二人の関係は今後どうなっていくのか。それは、ご想像にお任せします。

貴音と首長の壮絶なる戦いの果て、狂える夜叉に、楓は何を見るのか。

興味のある方は是非、記事をご覧ください。

吸血器の宴 急

「——そうか。この少女が……」

 楓の反応を見て、首長が重々しく呟く。沙也は襲撃者が楓の知り合いであったことを悟り、忌々し気に楓を睨み付けていた。

「ふーん。あなたがここの首長さんかぁ。そしてそっちの子が黒田沙也さんだね」

 自分の名前が知られていることがよほど不快だったのか、沙也は一層顔をしかめた。

「朱雀院さん……どうしてここに?」

「えーっと、あなたを助けに、かな」

「嘘ですよね」

 間髪入れずに楓が突っ込むと、貴音は満足げに笑顔を見せる。

「さすがに冗談だってわかるかぁ。うん、本当は血吸の餌やり。」

 そう言って貴音は手に持った刀――血吸をかざす。これまでにも多くの吸血の肉を切り裂いたであろうその刃は、汚れも劣化も一切ない、洗練された鏡のような美しい刀身を維持していた。なるほど、これは確かに妖刀だと楓は改めて確信した。いくら使っても綻びを見せない刀など、明らかに物理法則から逸脱している。

「その刀の……餌……?」

「うん。この刀は血を摂取しないと死んじゃうんだけど、独特の好みがあってね。人間の血よりも、魔物の血を欲しがってるんだよ。だから、あなたたちみたいな吸血鬼の血は、この刀にはご馳走なんだよね」

「……吸血鬼の血を啜る吸血鬼、か」

 首長は驚いていた。基本的に、吸血鬼は吸血鬼の血を吸わない。というのも、基本的に吸血鬼の味覚では、吸血鬼の血は非常に不味いのだ。

 吸血鬼の血を啜る吸血鬼というのはいないわけではない。だが、それも非常に貴重である。そういった血族は非常に珍しい種族で、狩られる獲物の立場である吸血鬼も数百年に一度会う機会があるかないかという程度である。それに血吸の場合は器物として使い手である人間と共存するというまた別の珍しい吸血鬼でもあるのだ。首長は実に四百年という長い年月を生きてきた吸血鬼であったが、このどちらのタイプの吸血鬼も話には聞いたことはあっても実際に見たことは無かったし、あまつさえ両方の特質を兼ね備える存在がこの世にいるとは想像もしていなかった。

「何でここがわかったの……?」

 沙也が憎らしげに呟く。声量が小さかったため返事を期待してのものではなかったのだろうが、貴音はそれをきちんと聞き取ったらしく、答えを返す。

「桧原さんをつけてたんだよ。桧原さんがここの人たちに目を付けられているってことは分かってたからね。そしたらここがわかったってわけ」

 自分の名が出てくるとは思わなかった楓は驚愕した。まさか自分がつけられていたとは気付かなかった。恐らくBat Boxから帰る時点ですでにつけられていたのだろう。と同時に楓はこの惨劇は自分が招き寄せたようなものであることにも思い至る。首長と沙也の様子を伺うと、沙也は案の定殺意のこもった目で楓を睨み付けていたが、首長にはもはや楓の事は眼中にないらしく、静かに貴音を見つめている。

「君のしていることはこの町の魔の秩序を著しく乱す行為だ。吸血鬼の勢力が一つ消えるだけでパワーバランスは大きく崩れる。君は、この町の魔物すべてを敵に回すことになるぞ」

 それは厳かな警告だった。首長の言葉には明確にこれまでなかった敵意と警戒が含まれている。それは、自分に向けられていないとわかっていても楓の肝が冷えてしまうほどだった。だが、貴音はそれを笑って切り捨てる。

「ああ、実はもうこの町の諸勢力とは話がついてるんだよね」

「……なに⁉」

 思いがけぬ言葉に首長は声を荒げる。そんな彼に貴音は懐から数枚の紙を取り出し、ひらひらと扇いだ。

「ここの鼠を駆除していいですかって聞いたらみんないいですよだって」

 その紙には首長の知る限りのこの町での有力な勢力の印が確かに刻まれていた。

「出鱈目だ!何を以って我らが——」

「最近、ちょっと仲間を増やしすぎかなーって、みんな言ってましたよ。だから、お灸をすえてやらないと」

「! そ、それは……」

 確かに、首長の勢力は最近人間を精力的に襲って仲間を増やしていた。しかし、それは最近この町の魔物を襲いだしたという脅威である目の前の少女に対抗するためである。首長自身はそれに反対ではあったが、恐怖におののく自分の仲間たちを見て強く出ることができなかった。それが最悪の形で裏目に出てしまった。数を爆発的に増やしていくペスト血族と血に飢えた少女を天秤にかけ、魔物たちは後者を取ったのだ。

「さて、それじゃあ前置きはもういいかな。首長さん、覚悟はいい?実のところ、思ったより大したことなくてがっかりしてるんだよね。」

「……そうか。であらば見せてやろう。儂の四百年で培われた力を!」

 そういうや否や、首長は戦闘形態へと変化する。だがその風格と体格は他の吸血鬼たちと比べ物にならない。その体毛は灰色というよりも白銀に近く、それをなびかせてたたずむ姿は優美さを感じさせた。他の吸血鬼たちよりも一回り大きく均整の取れた肉体はどこか狼を思わせた。

「ハッ!」

 先手を取ったのは貴音だった。血吸による一閃が首長の肉体に襲い掛かる。これまでならば血吸は吸血鬼の皮を破り、肉を抉り、いともたやすく血を啜っただろう。

「ッ!」

 しかし、そうはならなかった。甲高い金属音とともに刃が首長の腕に弾かれる。思わぬ衝撃に貴音の動きが一瞬鈍くなる。首長はその隙を見逃さず、一本一本がそれこそ刀ほどもあるのではないかというほどにまで伸びた鉤(かぎ)爪(づめ)を振るい、貴音を攻撃する。

先制攻撃に失敗したとみるや否や貴音はすぐさま後退をしていたが完全な回避には間に合わず、鉤爪が頬をかすめた。皮が削がれ、一筋の血が流れる。

「幾星霜を経てきた儂の毛皮を未熟であった我が仔らと比べてくれるなよ。いかな業物とて、儂に傷を付けることは能わん」

首長の戦闘形態は精錬され発達しており、その毛皮は他の者たちと比べ物にならないほどの防御力を有していた。貴音にとって血吸の攻撃が通用しないというのは初めての経験だったため、これには非常に驚いた。

 しかし、貴音の闘争心はこんなことでは挫けない。むしろその黒い炎は強敵という薪を得てさらに激しく燃え盛る。貴音は頬の血を拭うと、ニィと嬉しそうに笑みを浮かべる。頬の傷は拭ったときにはもう塞がっていた。その程度であれば、吸血鬼の再生力でどうにかなる。結果的に先程の攻防でお互いに発生したダメージはほぼ皆無に過ぎず、無鉄砲な先制攻撃を仕掛けた自覚がある貴音にとっては、これは上々の結果と言えた。

 貴音は一呼吸着くと、刀を自分の正面に構えた。俗に言うところの、正眼の構えである。やみくもに攻撃したところでどうにもならないと考えたのだろう。貴音はそこから何の動きも見せなくなってしまった。貴音が攻撃直前の一瞬以外で構えを取るのはこの日の戦闘では初めてである。貴音はこれからこの日初めて、本気の戦いを始めるのだ。首長も今はまだ攻撃に出るべき時ではないと考え、動きを止めた。そして、二人のにらみ合いが始まった。

 楓は最初この状況を落ち着いたものだと思っていたが、二人の眼の動きを見てそうではないことに気が付いた。顔こそ動かしてはいないが彼らの視線は瞬き一つせずに絶えずに動き回っていた。互いに相手の隙を探しながら無防備にならぬよう動きへの警戒も怠っていないのだ。仮にどちらかの視線の動きが鈍れば、相手はそれを好機と捉えすかさず攻撃を仕掛けるだろう。それこそ瞬きなどしてしまえば、一度閉じられた目はもうそれから二度と開かれることは無い。落ち着いているなどとんでもない。今や二人は視線で熾烈な剣戟(けんげき)を繰り広げているのだ。

しかし、それも永遠には続かない。人間を超越した存在とて限界はある。体力が尽きるかもしれないし、痺れを切らすのかもしれない。

 先に動いたのは貴音だった。これは妥当な結果といるだろう。長い年月を生きてきて時間の感覚に疎く、確実な勝利だけを求める首長は続くものであるのならばこの膠着を何時間だろうと何日だろうと続けていく腹積もりだったが、貴音の方はまだ若く長時間の停滞に心が適応できないのだ。そもそも貴音はこの戦いに愉悦を求めて挑んでいる。確実な勝利よりも危険の快感を味わいたいのだ。まず自分がアクションを起こし問題はそれから考える。それが貴音の戦いへの姿勢だった。

 貴音は首長の右側面へと移動すると、姿勢をかがめて刀を傾け、先端を正面に向けた。ただ斬り付けるだけではダメージは与えられないと判断し、毛並みの間のわずかな隙間から突きを通すことで、刃を皮の内まで届かせようと考えたのだ。攻撃するポイントはすでに見出してある。後は正確にそこを穿つだけだった。

「!」

 しかし、首長の表皮は貴音の想像以上の硬度を秘めていた。体毛の防御は突破に成功したものの、貴音の想定では心臓を穿つはずの刃は肉の表面程度にしか食い込まなかった。

 急いで後退をしなければという思考ごと、貴音は後ろに飛ばされ壁を粉砕し、肢体を廊下に叩きつけられた。首長は刀が自分の体に食い込んだ一瞬の隙を見逃さず、貴音にボディーブローを叩き込んだのだ。

「朱雀院さん!」

 滑らかな軌道で吹き飛ばされた貴音を見て楓は思わず叫ぶ。

 部屋を揺るがす衝撃が響く。この分では貴音が受けたダメージも少なくはないだろう。

「フム……刀から引き離そうと思ったが、上手くいかなかったか。どうやらその刀は思ったほどの切れ味は持っていないようだな。」

 貴音の戦闘能力はあくまでも血吸に依存したものにすぎないと考えた首長は、血吸と貴音を引きはがそうと考えた。それで刀が自分の肉に刺さって固定されている時に、貴音を吹き飛ばして刀を奪取しようと考えたが、貴音が血吸を手に保持し続けたことと、刀があまり食い込まなかったため肉からあっさりと抜けてしまったことの二つの要因によって目論見は外れてしまった。しかし貴音にダメージを与えることはできたため、成果は大きかったと言えるだろう。

「いてて……今のは結構効いたなぁ……」

 立ち込める粉塵の中、ガラガラと音を立てながら貴音は立ち上がるが、その息は荒く、足元は若干ふらついており、相当のダメージを受けたことが露わになっていた。

「これで力の差は分かったであろう。儂に勝つことは諦めよ、娘。」

「ハハ、諦めたらどうしてくれるの? このまま家まで返してくれるのかな?」

 貴音としては軽い冗談だったのだろうが、首長は貴音の言葉を真面目に受け止め、しばし考える。

「いや、お前は危険すぎる。お前はけだものだ。人も、人外も、見境無く喰らい尽くす悪鬼だ。ここで見逃せばさらに大きな災いとなって多くの命を凌辱するであろう。それだけは避けねばならん」

 貴音はまさか律義に返事が返ってくるとは思ってもみなかったようで、一瞬キョトンとした後に笑い出す。

「ハハッ、生真面目に御返答どーも。じゃあ……」

 そして、笑い終わったかと思うと意を決した表情へと変わり、左手首を突き出してそこに血吸を当てた。

「切り札、使っちゃおうかな。」

 貴音は、血吸を自らの左手首に突き立てた。

 血吸に新陳代謝に相当する機能が存在することに貴音が気付いたのは、血吸で初めて生き物を斬って数日の事だった。その日、貴音は血吸が何かを伝えたがっていることに気付いた。血吸は貴音だけに受信できるテレパシーのようなもので貴音とコミュニケーションをとる。コミュニケーションと言っても明確なものではなく、単に甲高い金属音のようなものが頭に響くだけだ。何やらそこには使い手だけに直感的に理解できる意味があるらしく貴音はそのテレパシーの意図を受信するたびに何となくだが理解できた。といっても血吸が発するのは専ら“快”だの“不快”だの“空腹”だのといった“感覚”の発露ばかりだが。その時は血吸を取り出してみるとその刀身は異様なほど錆びついており、肥大化していた。これはマズイと貴音が慌てて手入れしたところ、錆を落としただけで血吸はこれまでにないほどに良い状態となったのだ。まるで錆の下には最初から新品があったかのように。

 妖刀に人類の定義した物理法則を当てはめるのもおかしな話だが、どうも血吸という刀は血液の鉄分を取り込んで自らの刀身とし、その余りの成分や衰えた鉄を定期的に錆のような形で排出することで、自身を保つ能力があるらしい。つまり血吸はいくら使っても定期的に排出物を処理するだけで永遠にその形を保ち続ける不衰の刀なのだ。

 そして、血吸にはその応用とでも言うべき機能が一つ存在する。貴音の推測にすぎないが、通常は血吸が吸った血はすぐに刀身にならずに体内に蓄えられるようだ。しかし、一つの例外が存在する。   

それは使い手——貴音の血だ。

 貴音の血は血吸の使い手となる契約を交わした際、人間の物から変化している。その貴音の血を啜ると血吸は特殊な反応を示す。一瞬にして貴音の血を自らの刃(にく)に変え、形態を変化させるのだ。より重く。より鋭く。その切れ味は錆を排出した直後を軽く凌駕する。もっとも、その変化は長くて数時間程度しか保たないようなのだが。

 貴音はこれを血吸の人間で言うところの一種のアレルギー反応のようなものではないかと推測している。使い手の血を摂取せざるを得ないという異常事態に対して、血吸は攻撃性能の上昇という形の過剰な抗体反応を発現しているのだ。

 自分の攻撃が通用しないと理解したとき、貴音は即座にこの切り札を使用する決意をした。血吸を自分の手首に突き立て、血を啜らせる。

この切り札の致命的すぎる弱点としては形態変化の間は無防備となるという事があるが、突然の事態にこの場にいる全員は茫然としていて動く気配はない。特に首長は、何をしているのか理解できないので今下手に手を出すとそれこそ何があるのかわからないと考えて行動を取れずにいた。

そういった事情により貴音に血を与え、血吸の形態を変化させる時間は十分に確保された。変化には一分もかからないため最悪逃げ回りながら待つという手も存在したが、それを使わずに済んだことに貴音は内心少し安堵した。時間を稼ぎながら回避に専念するという行為は、実行した事こそ無いもののやはり精神的に堪える事は想像に難しくないからだ。

血吸に吸われた貴音の血は葉脈のような紋様を描きながら刀身を駆け巡り、やがて鏡のように煌めいていた刃が赤く染め上がった。

おぞましいまでに赫灼(かくしゃく)と輝く真紅の刀身。それこそが切り札としての血吸の姿なのだ。

「さ、戦闘再開だよ」

 そう言うやいなや、貴音は一気に首長との距離を詰める。疾走と同時に下段から八相、上段と構えを瞬時に転換させ、最終的に刀を勢いよく振り下ろした。無論、首長もそれを黙って見ていたわけではない。貴音が接近の挙動を見せると同時に、首長は後ずさりをした上で体の正面で腕を交差させ、防御の構えを取った。

 結局、貴音の攻撃の軌道上には、交差した首長の腕のみが存在することとなった。そのことを認識した瞬間、その場にいた誰もが貴音の攻撃の失敗を確信した。弱所を狙ったものではないただの一刀では、首長の防御を超えることなど不可能であることはこれまでの戦闘の経過と照らし合わせても明らかだったからだ。

「⁉ グァァァ!」

 しかし、その予測は裏切られた。攻撃の結果、首長の左手は手首から先を切断され、宙に浮かんで赤い雫を滴らせ、地べたに堕ちたのだ。

 首長は動揺しながらも貴音と接近した上で刀が下を向いている今こそが千載一遇のチャンスだと判断し、右腕で貴音を薙ぎ払う。しかしやはり片手を切り落とされた動揺が大きかったようで、無理に放たれたその一撃を貴音は一瞬で見切り、上体を逸らして回避した。そして貴音は刃を上に向けると、そのまま首長めがけて切り上げた。首長が瞬時に後退したため致命傷には至らなかったものの、剛毛に包まれた首長の胸部にパックリと傷が開く。

「グ、グオォォォ! なぜだ、なぜ儂の守りが破られたのだ⁉」

 予想せざる事態に、貴音以外のその場にいた全員が激しく驚愕した。それまで絶対的な防御力を見せていた首長の守りがいともたやすく破られたのだ。首長はもちろん、戦いを見守るだけの楓や沙也も驚きを隠せない。

 首長の片手を奪い、大きな形成の逆転を感じ取ったのか、貴音は構えを緩め、リラックスしたと言わんばかりに体から力を抜く。間違いなくこれは慢心なのであろうが、首長は行動に出ることはできなかった。貴音が油断していることを差し引いても戦いの主導権は貴音が握っており、それを破れば自分自身もただでは済まないことはよくわかっていたからだ。そんな首長の慎重さを臆病だと嘲笑するように貴音はじわじわと首長との距離を詰め、それに合わせて首長は互いの距離を保つように後ずさりをするが、やがて首長の背は壁にぶつかった。

「終わりだね」

 追い詰められた首長を見据え、貴音はニィと口角を吊り上げる。

(勝った!)

 一見追い詰められた首長ではあったが、内心では勝利を確信していた。

 首長には多少ではあるが魔術の心得があり、戦闘用の魔術も習得していた。

 接近戦における優位は失われてしまったが、射程外からの魔術による遠隔攻撃ならば勝機はある。首長はそう判断した。

 しかし無暗に攻撃したところで意味は無い。貴音の瞬発力を鑑みればすんでのところで回避されてしまう可能性は捨てきれないのだ。

 そう考えて首長は好機を伺った。距離を詰められてはいけない。しかし過剰に開けすぎては貴音を刺激して先手を取られるかもしれない。故に首長は貴音との距離を保ちつつ後退をするしか線つぁくしが無かったのだ。

 そして首長が追い詰められたその一瞬、首長は貴音の慢心が最高潮に達したことを感じ取り、すかさず呪文を詠唱する。放つは“神のこぶし”とも称される魔術。離れた相手に不可視の力を叩きつける、シンプルだが効果的な物だ。

(なに?)

 しかし、何も起こらなかった。貴音は嘲笑うような表情で悠然と佇むのみだ。

 動揺を口にしようとして気付く。言葉が出てこない。自分の口から意味のある言葉を発することができない。どれだけ叫ぼうと、激痛とともにヒュウヒュウと醜い音を立てる風が喉を吹き抜けるだけだ。

 ゆっくりと歩いてくる貴音を見て、首長はあることに気付く。そう、彼女の手に血吸が握られていないのだ。

血吸はどこに行ったのか、なぜ声が出ないのか、そして、なぜ逃げようとしても体が動かないのか。それらの物事を繋げる決定的な事実に気がつけないまま――いや、敗北を宣告するその事実から目を背けたまま、首長の頸は貴音の手によって刎ねられた。

(はい、おしまい)

 首長の血がよほど気に入ったのか、その胴体に吸い付いて離れない血吸を握りながら貴音は寂しく床に転がって苦悶の表情を浮かべる首長の頭部を嘲笑っていた。

 首長がまだ手を残していることなど、貴音はとっくに見切っていた。貴音の見た追い詰められた首長の眼は、手詰まりなことに狼狽して現実を直視できない敗者の眼ではなく、絶望の奥底に確かな理性と希望をたたえた挑戦者の眼だったのだ。

 相手が逆転の一手を持っていることを見破ったのならばやることは一つ。それを摘み取り、勝利をより確実で完全なものにすることだ。貴音は戦況と首長の対応から首長の攻撃が中・遠距離からの魔術攻撃だと判断した。そのため首長を壁際に追い込み一瞬わざと隙を作ると即座に血吸を首長の喉に投擲し、魔術の詠唱を封じたのだ。

 首長の血を飲み干した血吸を引き抜き、愛おしむ様に刃を撫でる。今日は大量に血を吸ったためだろう。刃は膨張し、満腹を訴えていた。これだけ吸えば数か月は放置しても文句は言わないだろう。しかし、貴音にはまだやりたいことが残っていた。

「さて、と」

 貴音はひとしきり血吸の状態を確認した後、呆然と立ち尽くしていた楓と沙也の方へ向き直る。二人は首長が倒される凄惨な光景を目の当たりにした衝撃で思考が止まっていたのだが、貴音の視線を受け、冷水をかけられたような錯覚を経て意識を取り戻した。

「ヒッ!や、やだぁ!殺さないでぇ!」

 沙也はガクガクと足を震わせながら数歩後ずさりをすると、腰を抜かしてその場にぺたりと座り込んでしまった。蛇に睨まれた蛙とはまさに今の状況を的確に表しているだろう。楓も逃げ出そうにも足が動かず、釘づけにされたような錯覚の中で恐怖に体を震わせることしかできなかった。

 一歩、また一歩と貴音は楓に向けて歩みを進める。正確な時間にして十秒もかからないのだろうが、楓にはその時間が永遠のように感じた。

 とうとう手を伸ばせば届く距離にまで貴音が近づいた。死を覚悟し、楓は目を閉じる。コツ、コツ、コツとゆっくり足音が接近し……楓の真横を通り過ぎた。

(え?)

 楓は思わず目を開け後ろを振り向く。そこでは、貴音が沙也の下へと歩きながら楓を見つめていた。貴音は楓が自分を見たことにくづくと、ニヤリと微笑んで視線を沙也の方へと移す。

「や、やだ――お願い、殺さないで――殺さないで――」

 とうとう貴音が沙也の真正面にたどり着く。沙也は絶望しきった表情で命乞いをする。貴音の表情は楓からは見えなかったが、無様な沙也を嘲笑っているであろうことは想像に難くなかった。貴音は沙耶の声が聞こえないかのごとく、ゆっくりと血吸を振り上げる。

 その光景を見た瞬間、楓の体に電流が流れるような感覚がした。恐怖で死んだように動かなかった肢体が反射的に動き、二人の下へと駆け出す。

「待って!」

 声帯を振り絞る。自分でもここまで大きな声が出る物なのかと驚いた。それには沙也も驚いたようで、貴音への視線を楓の方へと向けた。

 しかし、貴音はそれも聞こえないかのように一片の躊躇もなく血吸を振り下ろし沙也を袈裟掛けに斬り裂いた。

「沙也! 沙也! 沙也ぁ!」

 楓は必死で沙也の体を揺さぶる。沙也の眼は虚ろで、もはや完全に生気は無い。誰が見ても完全に彼女はもう助からないと判定するだろう。それを認めたくなくて、楓は沙耶を抱く力を強める。

「しにたく……ないよぉ……」

 沙也は虚空を見つめてうめき声をあげると、それきり動かなくなった。

 沙也の息の根が止まったとみると、貴音が楓の方に向き直る。二人の距離は、いつのまにか拳一個分といったところになっていた。

「私も、殺すんですか」

沙也の死体を抱え、精一杯の敵意を込めて楓は貴音を睨み付ける。

「いや? 血吸は首長で十分満足したみたいだから、桧原さんは別にいいかな」

 意外な返答に楓は真意を測りかねるが、貴音が血吸で楓を傷つけるつもりはないという事は確かだった。貴音の手に握られている血吸は既に鞘に収められており、わざわざもう一度抜刀するような無意味な二度手間を取る必要は全くないからだ。

「だったら、どうして沙也を殺したんですか⁉ それなら、沙也を殺す必要は無かったでしょう!」

 楓のその言葉に、貴音は楓の瞳を見つめながら答える。

「あなたは、私を殺せるかもしれないから」

 貴音の言っていることの意味が理解できず、楓はただ呆然とする。

「あなたはきっととても清い心を持った人だよ。自分の身にとんでもない異変が起こったっていうのに他人の心配ができるし、死の危機が迫っても黒田さんみたいな情けない姿は見せない。何より、今あなたはこうして臆することなく私を糾弾している。これは、あなたが正しい怒りを抱けることの何よりの証明だよ」

「……それが、どうしたって言うんですか」

「きっとあなたは、その怒りを忘れない。きっとあなたは、私という悪を許さない。だから、きっとあなたは私を殺せるようになって、私を殺しにやって来る」

 そこまで言うと貴音は楓の耳に口を寄せ、蠱惑的に囁く。

「そんなあなたを、私は殺したい」

 その瞬間、楓の怒りと殺意は爆発し反射的に貴音の首へと手が伸びた。

 しかし、その手は届かなかった。手首を掴まれたと思うといつの間にか腕を後ろに回され、地面に組み伏せられていた。混乱と激痛の中、やっと自分は何かしらの関節技を掛けられたのだという事を認識した。

「気が早いよ。いまはまだ、あなたは私を殺せない。でも、きっといつか……そのときを、楽しみにしてるよ」

 身勝手な理屈を理不尽に並べ立て、朱雀院貴音は消えた。楓はしばらく沙也の亡骸の傍で、ただ佇むことしかできなかった。

 楓の心中では確かに怒りの業火が猛々しく燃え盛っていた。しかし、それを貴音は望んでいる。この怒りは、無意味な物なのだろうか。ぼんやりと、楓は考えていた。

(——いや)

 たとえ無意味でも、たとえ届かなくても。

 許せないコトがある。絶対に、赦せないモノがある。

 (いつか、朱雀院貴音を殺して見せる)

かつて友だった屍を胸に強く抱きしめて、桧原楓は心に誓った。

吸血鬼の宴 窮鼠の章 完

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