K温泉巨大ホテル廃墟群:第一ホテル

みなさん、こんばんわ。インターンの中村です。今日はお隣の第一ホテルを鑑賞しましょう。
外観から

画像はグーグルマップより

かなり綺麗に見えますね、ここが廃墟になってしまったのは2003年、当時修学旅行に来ていた小学生たちが集団食中毒になってからです。営業停止処分を受けたホテルはそのまま立て直せず、廃墟化…何ともあっけない最期でした。なので新しそうに見えて実は15年以上経っているのですね。では中を見ていきましょう。まずは地図から

旧館部分のみの地図です。本当は左側にもう一棟あります。こちらもかっぱ風呂同様、増改築を繰り返していますがそこまで内部は複雑ではありません。フロントは5階にあります。チェックインを済ませましょう。

かなり広いですが、暗いです。豪華なシャンデリアが虚しいです。いくつかの備品はシートを被せたままでした。きっと営業再開に備えてのことだったのでしょう。そんな中ひときわ強い存在感を放っているものがありました。

金精様です。大変ご立派なこの神様は、東北から関東にかけて広く崇拝されているそうです。顔は恐らく他の廃墟マニアが張り付けたものです、他の廃墟でもたまに見かけます。
クラブ跡の裏から、かっぱ風呂旅館にて見えたスペースへと行けます。

謎スペースよりかっぱ風呂旅館を見上げる。
これは航空写真です。

青がかっぱ風呂旅館、赤が第一ホテルです。最早テトリスの世界です。これはあくまで想像なのですが、先に建っていたかっぱ風呂旅館の凸スペースにある部屋からの景観に気を配った結果、このような入り組んだ形になったのでしょう。ただ間を開ければよかっただけのような気がしますがそこはバブル、一つでも多くの客室を確保したかったのでしょう。

最後に大浴場を見ましょう。

なんと八つも浴槽がありそれぞれ違う入浴剤の入った湯だそうです。温泉来てるんだから普通に湧いてるの入らせてよって思うのは私だけですかね?

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K温泉巨大ホテル廃墟群:かっぱ風呂旅館 後編

みなさん、こんばんわ。インターンの中村です。今日はいよいよかっぱ風呂に向かいましょう。
コンクリート製の新館と木造の旧館では朽ち具合がまるで違います。強烈なカビ臭さが癖になります。
慎重に進もう。

ここをくぐればもう少し

着きました。
この物件の目玉であるかっぱ風呂です。その全貌は巨大な半円形の風呂でした。圧巻の景観です。これだけの規模の浴槽に加え更に外には温水プールまであります。全盛期には沢山の団体客で溢れ返っていたのいたのでしょう。

外観です。美しいですね。対岸から見ても非常に目立つ形をしています。このような特徴的外見を持つ廃墟は、得てして荒らされる傾向にありますが、このような状態で残っているのは奇跡的です。

ではなぜこの浴槽がかっぱ風呂と呼ばれているのでしょうか。その理由は湯口のデザインにあります。

素晴らしい。完璧。芸術的、創造的感性が爆発しています。正気とは思えない。特に真ん中の彼。お湯がチ〇コから出る造りとなっています。在りし日はおっさん達がこれを見てゲラゲラ笑っていたのでしょう。
ところで今どきの温泉は時間帯、又は日にちによって男風呂、女風呂が入れ替わります。
しかしこのかっぱ風呂は男性のみの利用です。当時は会社と言えば男が行くもの、そして慰安旅行も男ばかり、という風潮の時代でした。1話で述べた団体客前提の営業形態とはこういった点のことですね。今日の温泉利用客の主要客層は女性です、廃墟から経営も見えてきますね。

ちなみに女風呂はこんな感じです、廃墟なんで覗き放題、入り放題です。うひょ~

…。

次回はお隣の廃ホテルです。ではまた。

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K温泉巨大ホテル廃墟群:かっぱ風呂旅館 前編

 やさしく包む自然、心さやかにー旅の夢 (在りし日のパンフレットより)

こんばんは、インターンの中村です。四天王の一角、かっぱ風呂旅館についてです。青い線で囲まれてた奴ですね。まずは館内案内図をご覧ください。

そうです、複雑なんです。半ばダンジョンと化しているのです。元は真ん中の凹んだ旧館だけだったと言います、ですが客が増えるのに合わせて増築、旧館を囲むようにコの字型に新館を建て、その後も増改築やら別館などを建てたりし今のような複雑怪奇な造りになったと言いわれています。そんなかっぱ風呂旅館が廃墟化したのは2000年を目前とした1999年、既に20年近く経過しています。そんな規模も熟成度も完璧な、関東屈指の名廃墟、かっぱ風呂旅館を一緒に探索していきましょう。

外観から観賞していきましょう。

崖に沿うようにして建っているのでそこまで大きく感じませんね。画像はグーグルマップのスクリーンショットです。

フロントにてチェックインしましょう。

フロントがある階は5階に相当します。室内に草が生い茂っています。面白いのが生えている場所、朽ちてグズグズになったカーペットを土壌代わりに使っています。非常に暗かったのでろくな写真が撮れませんでした。

隣のラウンジにてひとまず荷物を降ろしましょう。

椅子が来客をずっと待ってました。

ユルすぎる河童たちも心なしか嬉しそうです。

さあ部屋へ向かいましょう、新館の9階です。

お部屋が見えてきました、奥の建物は別のホテルだから間違えない様に。
今なら違法建築で確実にしょっ引かれる密度、放棄された廃墟だからこそ今日まで残っている景観です。在りし日には、隣のホテルの宿泊客と目があったりなんてことあったのでしょうか。当然エレベーターなんか動いていないので外階段を使い移動します。かなり疲れます。

あと少し。

通路を抜ければ…
廃墟内の落書きは基本的に好ましくないですが、時として廃墟の魅力をより引き出したします。

到着、お疲れ様。
崩落が進んでいる部屋、冬は雪が積もるので屋根に負荷がかかりやすいそうです。生えている植物の大きさが放棄されてからの長い時間を感じさせてくれました。

一休みしたらかっぱ風呂に入りに行こう。ではまた。

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K温泉巨大ホテル廃墟群:概要

はじめましてとこんばんは、インターンの中村です。突然ですがこちらをご覧ください。

どうです?あまり衛生的ではない建物が目立ちますね。実はこの写真に写っている建物、全て廃墟なんです。一体何がどうなっているのでしょうか? どうしてこのような状態になってしまったのでしょうか?
その謎を解くカギは狂乱のバブル景気が握っています。

元々K温泉は関東圏にありながら大きな温泉地ではありませんでした、川沿いという立地の所為で源泉の多くが川底に沈んでしまっていたためです。その状況が変わったのが大正3年、上流に水力発電所が出来たことにより川の水位が低下してからです。これまで沈んでいた源泉が次々と発見され旅館が次第に増えていきました。これだけならば需要と供給が釣り合った中規模な温泉地として栄えたことでしょう。しかし皮肉なことに豊かな湯量と戦後の好景気がK温泉を狂わせます。
時は飛んで昭和30年、バブル期のレジャー、国内旅行ブームの真っ只中に、浅草から直通の特急が整備され東京から大量の観光客が押し寄せます。それに合わせて渓谷を切り開き鉄筋コンクリート製のホテルが乱立、元からあった宿は過剰な増築を行います。この時の主な客は団体旅行客、その中でも企業の慰安旅行が殆どだったといわれています。
順調だったのもここまで、バブルが弾けてからは衰退の道をたどることになります。まず主要な客である企業の慰安旅行自体が減少してしまいます。さらに温泉以外のレジャーの多様化、開発を融資していた地銀の破産、団体客を前提とした時代錯誤な価格設定や設備も追い打ちをかけます。客が電車と送迎バスを使わなくなり、マイカーで訪れるようになったのに駐車場を殆ど用意しなかった事も客足が遠のいた理由の一つだと言われています。驕れるものも久しからず、廃墟を通して諸行無常の精神が見えてきます。

長くなりましたのでまとめると、バブル期の過剰な開発のツケで写真のような状況になってしまったという事です。

現在K温泉は大量の廃墟を抱えながらも、施設のリニューアルや地元の地道な努力により徐々に客が戻りつつあり、ネット上での温泉地ランキングでも常にトップ10にランクインしています。そんな温泉地が負の遺産(マニアからすると桃源郷)である廃墟群とどう向き合っていくのか…は、また別の話でして話を戻します。
この廃墟はどこがどうなっているのかという事です。さっきの画像に手を加えてみました、ご覧ください。

あと右側にもう1軒あります、計4件です。
他にも中小の旅館を合わせればもっとありますが、主要なこれらを「K温泉廃墟四天王」と私は呼んでいます。
次回からはこの四天王を紹介していく予定です。乞うご期待下さい。

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