中世と騎士について
みなさん、海外の映画や演劇に出てくるヨーロッパの鎧について知っていますか?
日本では侍という独特の戦士文化がありますが、それでも国内で人気があるモチーフですね。
しかし、その歴史は私たちが想像するよりはるかに異なります。例えば、私たちが知るような全身を金属で覆われたような鎧は中世の歴史上のごく一部でしか使われていません。かと思えば、胸当などの軽い装甲は第一次世界大戦まで使われていました。鎧について知っておくと、作品を見る楽しみが増えていくのではないでしょうか。参考になれば幸いです。
今回は、鎧を見つけていた「騎士」と、騎士が活躍していた時代「中世」について説明したいと思います。
まず中世について説明します。中世は英語で「middleages」、まさに「中間の世」という意味があります。三区分に
別れる西洋の歴史のうち、「古代」と「近代」の中間の時代というわけである。現代では中世と近代の間に「近世」という時代が設けられてます。
ではいつからいつまでが中世なのかというと、西ローマ帝国が滅亡して古代が終わった5世紀半ばから、東ローマが滅亡する15世紀中頃までです。また、中世自体が三つに分断されていて、5~10世紀を中世前期、11~13世紀を中世盛期、14~15世紀を中世後期とする。騎士は中世前期に発生し、中世盛期に隆盛を迎え、中世後期から近世にかけて徐々に衰退していきました。
次に「騎士」について説明します。騎士の起源について、長く提唱されてきた学説は次のようなものです。8世紀、フランク王国のカール・マルテル宰相(さいしょう)が、ウマイヤ朝の騎兵戦術を自軍に取り入れました。彼は騎兵の装備代を捻出するために各騎兵に領地を与え、これが封土を有する封健制騎士、ひいては貴族の起源となったといわれてるものです。やがてウマイヤ朝の軍隊は歩兵主体のものだったことがわかり、騎兵部隊設立の目的はヴァイキングやマジャール人の襲撃に対処するためだったと修正されてます。
現在の騎士の起源はより複雑、かつ不明瞭なものであると考えられてます。古代ローマやゲルマン文化では、年長の戦士に対し若年の戦士が忠誠を誓い、見返りに年長者が庇護(ひご)を与えるという習慣がある。これにキリスト教会が行っていた土地の賃貸制度が組み合わさって封健制が生まれたというのが新しい見方であります。この制度の成立期間は非常に長く、中世初期に生まれて13世紀ごろに成熟を迎えました。
こうして誕生した新たな戦士階級はやがてキリスト教と結びつことになります。彼らは教会と民を保護する義務を負う見返りとして、祝福されたキリストの戦士とされます。こうして単なる戦士から特権階級へ変化したものだと考えられてます。
このように鎧と中世は密着な関係があります。次の記事もお楽しみください!
参考文献:西洋甲冑&武具 作画資料
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