ソニックシリーズについて

はじめまして、インターン生の財部です。今回はソニックシリーズについて紹介を行っていきます。ソニックとはSEGAがメガドライブというコンシューマーゲーム機を作っていた頃に誕生したSEGAのキャラクターです。海外では根強い人気があり、海外でメガドライブがスーパーファミコンに勝る勢いで売れたのもソニックの登場がきっかけでした。ソニックシリーズの特徴はソニックをとにかく速く動かせることで、画面を追い越すほどの速さで、独特の爽快感があります。また、道中で落ちているリングを持っていればダメージ受けても即死しないことやリングを50以上持った状態でゴールしたりチェックポイントを通過するとスペシャルステージをプレイできること、特定の条件を満たした状態だとリングを消費する代わりに無敵とスピードアップ状態であるスーパーソニックになれるのも特徴です。
今回紹介するソニックの最初の作品が、1991年発売のソニック・ザ・ヘッジホッグです。
ゲームは7つのゾーンに分かれていて、奇数がスピード重視の爽快感のあるゾーン、偶数がギミック重視の難しいゾーンになっています。最終ゾーンを除く各ゾーンごとに3アクトのステージがあり、アクト3でボスのDr.エッグマンと戦いになります。また、音楽がUFOキャッチャーに使われているので、聞いた人もいるかもしれません。
このゲームのゾーンで、あとの作品でよくリメイクされる象徴的なゾーンがグリーンヒルゾーンで、ソニックの特徴的なループする道などがあります。
ボスは乗物から鉄球をぶら下げて攻撃してきます。ボスの攻撃方法は、ソニックアドバンスやソニックフォースにも使われています。また、グリーンヒルゾーンは大乱闘スマッシュブラザーズのステージにもなっています。

(引用: SEGA AGES ソニック・ザ・ヘッジホッグ)
http://archives.sega.jp/segaages/sonic/

個人的に好きなゾーンは、5番目のスターライトゾーンです。ループを利用した加速の爽快感が素晴らしく、辿りつけるひとが少ない後半のステージなのが勿体ないと個人的に感じていたりします。

(引用: ミドルエッジ 記憶をくすぐる大人のメディア「ミドルエッジ」 ソニックシリーズの原点『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』にまつわるお話)
https://middle-edge.jp/articles/Mudzs?page=3

苦手なゾーンは、4番目のラビリンスゾーンで道中水の中を歩いて進むのですが、スピードが水中なために減速し、更に途中にある泡で息継ぎをしないと溺れてしまいます。ボスのエッグマンとの対決も他のゾーンとは違い、迫ってくる水から逃げながらエッグマンを倒すというもので、クリアするのがとても大変でした。
印象的だった場面は6ゾーンのアクト2をゴールをするとラビリンスゾーンそっくりのアクト3が始まる所です。終盤に苦手な人が多いだろうステージ構成が来て驚きでした。

(引用: ミドルエッジ 記憶をくすぐる大人のメディア「ミドルエッジ」 ソニックシリーズの原点『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』にまつわるお話)
https://middle-edge.jp/articles/Mudzs?page=3

1作目にはスタッフロールがないのですが、実は黒い画面に黒い文字でスタッフロールが表示されています。当時引き抜き対策として、スタッフの名前を書かせないということをやっていて、それに対抗してできたものが黒い画面に黒文字のスタッフロールでした。ちなみに私が初めて、第1作目を遊んだのはPS2のソニックメガコレクションというメガドライブとゲームギアのソニックを移植したもので、ソフトに付属しているどこでもセーブ機能を利用して何とかクリアしました。
今回紹介した第1作目は、3DSやiOS、Nintendo Switchに移植されていて、遊ぶことができるので、興味を持った方は是非遊んでください。

興味を持たれた方はお気軽にお問い合わせください。

第10話(最終回) 携帯電話の歴史

皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
これが最後の記事です。今までがかなりあっという間でした。
では、第10話(最終回)はじめます!携帯電話の歴史について書いていこうと思います。

今、ほとんどの人が所持している携帯電話今では持っていないほうが明らかに少ないですし、周りで持っていない人もほぼいないと思います。
そんな携帯電話ですが、いつから普及したのか、またどのような進化を遂げていったのかについて書いていきたいと思います。

日本で最初の携帯電話は1985年にNTTがレンタルを開始した「ショルダーホン」の100型である。今までは車内で電話のできるものはあったが、ショルダーホンは車外でも使用できる自動車電話という位置づけであり、電話機の重量も約3kgと重かったため、携帯時はショルダーバッグのように肩にかけて持ち出す必要があったのです。
3kgとかなり重い作り、高価なだけありもっている人は社長やお金持ちだけであった、これが日本で最初の携帯電話なのです。

その2年後の1987年に、NTTは日本初のハンディタイプ携帯電話機TZ-802を世に出しました。当時は周波数変調を用いたのみで、市販の受信機で誰でも会話の内容を傍受できるアナログ式でした。

まだ大きなハンディタイプですがショルダーフォンに比べ軽くなり持ち運びも楽になりましたがまだ重量は900グラムもありまだまだ簡単に持ち運べる重さまではいきませんでした。

携帯が大きく発展してのはここからの約4年間軽量化・小型化が進み1991年に超小型携帯movaの販売が始まりました。重さ230gと文字どおりのハンディな移動電話となりました。また、movaの登場は携帯電話の契約数に大きな影響を与え、前年の二倍に増える53万人の契約者を獲得しました。しかし当時のムーバ利用の初期費用は、保証金10万円と新規加入料4万5800円にレンタル料を含む毎月の回線使用料17000円が必要で安価な面はまだ補うことができていませんでした。

それを解消したのは1995年簡易型携帯電話サービス、PHSが始まりこれにより通信料も安くなり若者も携帯電話を所持するようになった。この年を機に料金も安くなり加入者が増えたというのはこのグラフを見ていただければわかると思います。
ちなみにPHSは電話機(端末)と基地局との間では有線通信の通信線路(電話線等)を用いずに電波による無線通信を利用する、マルチチャネルアクセス無線技術です。

このようにPHS始まりよりこのように普及率は伸びています。この後はメール機能やカラー化、写真、ムービー機能、さいふ携帯など、どんどん新しい機能がついたことにより95年以降グラフは落ちることなく、あがっていっていることが分かります。

また、その携帯の普及率にさらに火をつけたのは、iPhoneとAndroidです。
このふたつは今までにないタッチパネル式操作が可能であり、アプリケーションが豊富ということや、iPhoneはアメリカでとんでもなく流行しており初めて日本で「iPhone3G」が発売されて時はおよそ1500万台、Androidはおよそ1000万台発売当時は売り上げこの2つの台頭で携帯の普及率は驚くように上がっていき2013年には普及率100%を超え、2016年では120%、この要因として仕事用の携帯を所持することによる2台持ち、またシニア層の携帯所持化によるものだと考えられます。

また今年iPhone7が発売されることにより普及率がまたさらに上がるのではないかといわれています。
今後普及率何%まで上がっていくのでしょうか。

短い間でしたがありがとうございました。

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第9話 ソーシャルゲームの歴史

みなさん!!!元気ですか??インターン生の利岡です。
毎日私、利岡元気なのですが、毎朝通勤ラッシュで満員電車がつらいです。
そんな電車の中でほとんどの人が携帯をいじっています。
またその中のほとんどの人がソーシャルゲームやってませんか???
はい。一応ソーシャルゲームとはなんだという方に説明しますと、基本的にブラウザゲームの形で提供され、ゲーム機やソフトを購入しなくても携帯電話やスマートフォンで遊ぶことができるゲーム、またSNS上にウェブブラウザ上で動作するAPIなどの動作環境(アプリケーション・プラットフォーム)が提供されており、これを基盤として制作されたアプリケーションソフト一般に専用のクライアントソフトウェアを必要とせず、ウェブブラウザとSNSのアカウントのみで利用可能であるもの。簡単に言うと、携帯電話などでお手軽にできてネットをつなげて複数の人とできるゲームです。
今、人気なソーシャルゲームを例に出しますとパズドラやモンストなどです。

そんなソーシャルゲームの歴史を今日は書いていこうと思います。
まず日本から始まったかと思いがちですが、始まりは海外なのです。
2007年にFacebookがアプリケーションを開発するためのAPI「Facebook Platform」を公開したことを受けて、それを使ったゲームが多数輩出された。中でもジンガが開発した『FarmVille』というゲームは8300万人というFacebookでは最大規模のユーザー数を抱え、課金アイテムの市場も急成長し、こうしたソーシャルゲームによってFacebookがアメリカ最大のSNSへと発展していきます。
ちなみに『Farm Ville』はどういうゲーム????

画像を見て分かったとは思いますが、農業を営むアプリです。これがアメリカでは大ヒットだったんです。
一応日本版もあるみたいなのでFacebookやっている方はぜひやってみてください。

次は日本、日本のソーシャルゲームの始まりはこれです。

Yahooモバゲーにて配信された『怪盗ロワイヤル』です。私も中学生の時めっちゃはまっていました。
ゲーム内容を説明しますと他のユーザーにバトルを仕掛けてお宝を盗む。時には他のユーザーと仲間になり、アイテム(武器・防具・乗り物)やお宝をプレゼントし合い、協力プレイをするゲームであり、そして一定時間が経過すると体力が回復してゲームを進めることができるので、時間がない人でも他の人と格差がなく楽しむことができ、
友達と協力ができたり、バトルでお宝を集めたりなどの今までになかった携帯ゲームの登場で人気になりました。漫画化やドラマ化などもされました。

これを機に日本のソーシャルゲームは大いに盛り上がっていき、今ではおよそ1000万人がソーシャルゲームをプレイしているそうです。このユーザー数は年々上昇していて今年もポケモンGOの影響で人数が増えるのではないかと思います。皆さんもソーシャルゲーム1つはやったことあると思います。
懐かしいアプリとってみたらどうですか。
まだやってことがない方はこれを機に始めてみてはいかがでしょうか???課金のしすぎには注意してください。

次回がとうとう最終回です。

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第8話 メダルゲームの歴史

はい!皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
この記事もあと3回さびしいですが書いていこうと思います。
今回は、私が大好きなメダルゲーム、それの歴史について書いていきたいと思います。
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まず、メダルゲームの始まりはシグマ社(今のアドアーズ)の創業者が、外国製の本物のギャンブルの機械を輸入し、ゲームに使用するメダルを金品との交換を一切行わない前提で営業したのが始まりである。
当時のアミューズメント施設は、業種としては風営法の対象外であったが、金品を提供する賭博に類する行為は当然ながら禁止であったので、メダルゲームとして設置するに当たり、法的に問題ない運用条件を警視庁の担当者と何度も個別相談したうえで、現在のような厳しい規制を当時の時点で自主的に課すことで、許可を取り付けたそうである。なお、シグマ社の創業者は、メダルゲームコーナーを実現するにあたり、日本の法規では金品への交換は行えないという点をむしろプラスに考えていた。つまり、金品への交換が禁止されているので、ギャンブルに有りがちな、金銭の損得や勝ち負けのみが全ての鉄火場のような雰囲気は、原理的に否定されており、、勝ち負けにはあまり拘らず、あくまで浮いたお金で余興の時間を過ごすための、大人の社交場的な空間を理想としていたそうです。

世間一般からはお金にならないスロットゲームなどなんて誰もやるわけがないといわれ続けていたそうです。そのような反対の意見を押し切ってシグマ社は、1969年にシグマ社がボーリング場の一角にメダルゲームを作りその後新宿にアドアーズミラノ店が初めてメダルゲームの専門店としてオープンしたのです。開店前の評価がうそのように客足は伸び、アドアーズミラノは開店当時人があふれていたそうです。この人気ぶり他の会社も食いつきセガ、タイトーなどもメダルゲームのお店をオープンし今はおよそ6000店舗のメダルゲーム店があるそうです。

そして次は日本で最初にできたメダルゲーム機について紹介したいと思います。
初めて日本で発売されたメダルゲームはおよそ今から40年前このゲームです。

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はいこれは「ファロ」というゲームで写真を見ていただければ分かるようにルーレットのゲームです。
筐体は電光ルーレット部分とプレイヤーがベットを行う部分に分かれている。同時に5人までがプレイすることが可能であり、電光ルーレットは36分割されていて、その分割されたスペースには2・4・6・8・10・30のいずれかの数字が書かれている。数値が大きいほどルーレット上に書かれている個数は少なくなっていて、電光ルーレットがまわり止った数字の枚数をベットしていれば獲得することができる。これが日本の元祖メダルゲームです。
その次に発売されたのは競馬ゲーム(THE_DERBY_V0)というゲームです。このゲームはまだ錦糸町のアドアーズでまだ稼動しているそうなので、興味ある方は行ってみたらいかがでしょうか(^^)
私は、今度時間があるときに見に行ってみたいと思っています。

メダルゲームの歴史どうでしたか???
次回も読んでください。お願いします!!!

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第7話 プレイステーション2の歴史

皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
気付けばインターンも終わりが近づいてきました。まだまだ教えていただきたいこと学びたいことはたくさんあるので、一日の時間を有効に使って生きたいと思っています。
さて今回は6話の続きプレイステーション2について書いていこうと思います。

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プレイステーション2は、 2000年3月4日にソニーコンピュータエンタテインメントが発売した据え置き型ゲーム機です。
初代プレイステーションの後継機であり、前世代であるプレイステーションとの互換があり、発売直後から多くのソフトで遊べるというメリットがあったのです。
私もプレイステーション2は持っていますが、2が発売しているときに初代のソフトを買ったりしていました。このような私のような人は多くプレイステーション2のおかげで初代のソフトの売り上げは大きく上がったともいわれています。

プレイステーション2の一番の特徴は、 当時はまだほとんど普及していなかったDVDプレイヤー機能が内蔵されていることです。
当時のDVDプレイヤーは、7~8万円程度はするものだったので、プレイステーション2の39800円という価格は、破格の安さでした。
これだけ安価でありながら、最新のソフトや過去のプレイステーションのソフトも遊べるのですから、 売れないはずがありません。
事実、プレイステーション2は発売直後から爆発的な売れ行きを見せました。DVD市場が勢い付いたのも、プレイステーション2の貢献が非常に大きかったのです。

ソフトメディアもDVDが採用されており、4.7ギガバイト(片面一層)もの大容量を実現したのです。
前世代プレイステーションに採用されていたCD-ROMは700メガバイト程度でしたから、 実に7倍近い容量になったのです。
これにより、今までよりもゴージャスなゲーム体験が可能になったのです。

プレイステーション2は発売直後から好調な売上げを続け、国内の累計販売台数は、前世代(1960万台)を上回る2169万台を記録しています。
世界累計販売台数はなんと1億5000万台を突破しており、史上最も売れた据え置きゲーム機となのです。皆さんは知っていましたか??
ライバルハードである任天堂のゲームキューブは国内404万台、世界累計2174万台、マイクロソフトのXboxは国内50万台、世界累計2400万台なので、ソニーのプレイステーション2は、これらライバルハードを圧倒する普及台数です。この世代は、正にプレイステーション2の一強時代だったと言えるでしょう。

しかし、その華々しい売上げの影で、ゲーム市場はどんどん縮小を始めていたのです。

プレイステーション2は、ハード販売こそ堅調でしたが、 ソフト販売本数は初代プレイステーションを下回っていました。
大多数のソフトは、プレイステーション時代よりも販売本数を落としており、これはドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったビッグタイトルも例外ではありません。
プレイステーション2は、DVD再生機能を目的に購入していたユーザーが大勢いたということなのです。
また、ソフト自体のマンネリ化も、市場の縮小に影響していたと思われます。ゲームハードの性能向上に伴い、ソフト開発費はどんどん膨れ上がっていました。となると、売れるかどうかわからない新規作を開発するメーカーは少なくなります。結果、一定の売上げが見込めるであろう、 過去に人気のあった作品の続編ばかりが作られるようになったのです。
しかし、続編タイトルは基本的に前作よりも複雑化するものですから、 新規ユーザー数はどんどん減少してしまったのです。といった具合に、プレイステーション2の繁栄には、負の側面も潜んでいたのです。

このように爆発的ヒットをしたプレイステーション2にも負の側面があるのです。市場の縮小化などソフトの売り上げは徐々に衰退状態にあったのである。
この衰退状態のまま発売された新作プレイステーション3にはどんな問題が起きたのでしょうか??
気になる方は調べてみてください。

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第6話 プレイステーションの歴史

こんにちはインターン生の利岡です。
今回は第6話今日から後半戦です。
今日は皆さん知っていると思います。みんな大好き、プレイステーションについて話していきたいと思います。

プレイステーションは、ゲーム業界に様々な影響を与えた歴史に残るゲーム機であり、そんな初代プレイステーションの歴史を振り返って行きたいと思います。
まず始めに、当初プレイステーションはスーパーファミコン向けCD-ROMドライブだったのです。正確に言うとスー
パーファミコン向け外付けCD-ROMドライブは、任天堂が任天堂ブランドとして発売し、
CD-ROMドライブ一体型スーパーファミコン互換機はソニーが家電流通によりソニーブランドで発売する計画であったのです。
開発コードネームは「プレイステーション」。この時点でプレイステーションという名前は存在していたんです。
ところが様々な問題により開発は中止になったのです。どうやら両者の間で争いが起きてしまったようで、それ以来、任天堂とソニーは犬猿の仲になったのです。
その後ソニーは独自でゲーム機を開発する事になり、名称も引き継がれました。この騒動を見て分かるように、ソニーのプレイステーション誕生のきっかけは任天堂も関係していたんです。

そして1994年12月3日に初代プレイステーション誕生!
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ソニー独自のプレイステーションのプロジェクトが立ち上がってから約2年。ついに発売されました。
初代プレイステーションは3Dポリゴン描写能力に特化したものとなっており、
美麗なムービーやドラマチックな演出を多用した事により当時は子供のおもちゃだったゲーム機のイメージを一気に変えようとしたのです。

また、150万円という格安の価格で開発機材を提供できたのです。
さらにメディアがCD-ROMという事で販売価格も下げやすく、量産体制が整っていた事もあって非常にゲームが売りやすい環境だったと思います。

1994年当時はまだまだスーパーファミコンが強かったんですが、メディアがロムカセットという事で大量生産するにはコストがかかってしまい、
販売価格が1万円を超えるのもが多かったのです。それだけに5,000円~6,000円程度だったプレイステーションソフトの価格は非常に
安く見えてしまい、ユーザーからも魅力的だったと思います。
およそ半年で累計100万台を突破し、徐々に軌道に乗っていきます。

そんな流れを大きく変えたのが1996年初頭に発表された「ファイナルファンタジー」シリーズのプレイステーション電撃移籍です。
同シリーズはそれまで任天堂ハードをメインに展開されてきた超人気RPG。
そんな超人気RPGがプレイステーションというゲーム機によってより美しく、
ドラマチックに進化していくのは当時のゲームファンからしたらとても魅力的だったのです。
ファイナルファンタジー発売後は他にもドラゴンクエストなど大ヒット作が発売されたという事で1997年から1998年の間に
プレイステーションの国内累計販売台数は500万台から1,000万台に倍増し、据え置き型ゲーム機の中では
プレイステーションの一人勝ちといっても良いほど圧倒的な有利な状況になっていました。

その後2000年3月、後継機のプレイステーション2が発売されました。
そちらもゲーム機史上最高の初動売上を記録するなど勢いは素晴らしいものでしたが、
プレイステーション2には下位互換があった事もあり、
初代プレイステーション市場もまだまだ勢いは衰えません。
2000年夏にはなんと「ファイナルファンタジーIX」、「ドラゴンクエストVII」といった
日本を代表する大作RPGが揃ってプレイステーションで発売され、
いずれも300万本以上のメガヒットを記録しました。
特に「ドラゴンクエストVII」はプレイステーション史上最高の累計売上を記録。
シリーズとしても過去最高の売上だったこともあり、初代プレイステーションは新作がでても絶好調だったのです。
けれど、2002年に入った辺りからはプレイステーション2が軌道に乗り、
猛威を奮っていた初代プレイステーションもさすがに勢いが衰え始めてしまいます。
2002年に発売されたタイトルは226本でしたが、
2003年には46本。2004年には2本と一気に発売タイトルが少なくなっていきプレイステーション2の時代に変わっていったのです。
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これで初代プレイステーションの歴史は終わりです。
次回はプレイステーション2について書いていきます。

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第5話 パワポケ 歴史

どうもこんにちは!インターン生の利岡です。

今日で第5話もうインターン前半は終了です。早いですね。

ところで皆さんは、野球好きですか??私は好きです。
プロ野球皆さん観てますか??皆さんはどこファンですか???私は中日ファンです(現在ダントツ最下位)

野球が好きでプロ野球を観る方はパワプロ知ってますよね???
野球は好きだけどプロ野球は観ない人パワプロ知ってますよね???
野球あんま好きじゃないけど、パワプロ知ってますよね???

そして皆さんパワプロ大好きですよね???

今日はパワプロクンポケットの歴史について話していきます。

まずパワプロクンポケットとは何かといいますと、携帯型ゲーム機のパワプロクンポケットといいます。
じつはパワプロクンポケットはストーリーが完結し、もう新作がでることはありません。

これが簡単なパワポケの年表です
パワプロクンポケット   1999年4月1日
パワプロクンポケット2   2000年3月30日
パワプロクンポケット3   2001年3月21日
パワプロクンポケット4   2002年3月20日
パワプロクンポケット5   2003年1月23日
パワプロクンポケット6   2003年12月4日
パワプロクンポケット1.2  2004年7月29日『パワポケ1』と『パワポケ2』を1本にまとめたリメイク作品。
パワプロクンポケット7   2004年12月2日
パワプロクンポケット8   2005年12月1日
パワポケダッシュ      2006年3月23日
パワプロクンポケット9   2006年12月7日
パワプロクンポケット10   2007年12月6日
パワプロクンポケット11   2008年12月18日
パワプロクンポケット12   2009年12月3日
パワプロクンポケット13   2010年11月25日
パワプロクンポケット14   2011年12月1日

私、実はパワポケ11までならすべて持っています。
パワポケは野球に興味が無い人にも楽しめるストーリーになっています。各ストーリーごとに主人公が違い、高校生、大学生、社会人、プロ野球の場合があります。パワプロシリーズには毎回親友がいるのですがそれがこの人です。
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顔は若干毎回違いますがメガネのこの人が毎回パワポケには登場します。
パワポケはストーリーの中で彼女を作ったり、バイトをしたりあまり野球に関係ないストーリーも混ざっているので野球にぜんぜん興味ないよって人にも気軽にはじめることができると思います。

そこで今回パワポケの中でもお勧めのポワプロクンポケット3について少しお話しさせてもらいます。
パワポケ3の主人公はパワポケ1と同じ主人公(極亜久高校を甲子園優勝に導いた主人公)。のその後のお話、プロ入りしたまでは順調だったが、周囲に流され望まぬまま結婚。挙句につまらない事故で命を落としてしまいます。それから3年後、主人公は生前の記憶と引き換えに、マッドサイエンティストの唐沢博士と高校時代の友人である亀田(メガネ)によって、サイボーグとして生き返る。という前フリがありストーリーが始まります。
始めは、サイボーグである自分を認められずにいたが、記憶取り戻すために生きることを決心する主人公。世界はそのころプロペラ団の放ったサイボーグ選手の暗躍により、ありとあらゆるスポーツはその手中に落ちつつありました。 それをとめるためにかつて野球選手であることもあり「火星オクトパス」に入団し、プロペラ団との決戦に挑む。という話です。
無事プロペラ団には勝利したものの真の黒幕がまだいることに気付くがそれが誰なのかは分からない。
そんなとき主人公は記憶を取り戻す、、、、、そして死んだときの原因、黒幕、生き返らせた理由、すべての謎がそこで分かることになるんです。

ほんとーーーーに面白いのでやってみてください!!!!!!!!

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それともう一つパワプロを紹介したいと思います。
携帯アプリで新しく発売されるパワプロくんのサッカーゲームのことです。

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普段はパワプロとは野球ゲームなのですが、今回は特別にサッカーゲームとして配信されるようです。
配信日はまだ未定なのですが、パワプロと同様サクセスというシナリオを進めながら選手を育成していくモードがあります。育成や練習方法はいままでと練習やパワーアップのやり方なのは同じです。ストーリーは高校サッカーであり、チームメイトと練習し絆を深め、時にはマネージャーと恋愛もありつつ、高校サッカー全国制覇を目指していくお話です。
今回もしっかりパワプロでおなじみの矢部くん(メガネ)が矢部坂くんとして登場します。

サクセスプレイ中に発生するサッカーの試合のイベントは、プレイヤー自身で操作することが可能でありプレイヤーの出番がくるまでは、自動で試合が進行する。
このパワサカには人気ゲーム「ウイニングイレブン」のゲームエンジンをベースにした本格的なサッカーアクションが可能で、スライドやフリックといったスマホならではの直感的な操作で遊ぶことができるのです。

この「ウイニングイレブン」と「パワプロ」の融合のアプリ本当に配信が待ち遠しいです。
このパワサカ、パワプロをやっている人はもちろん、野球にあまり興味がなくてパワプロをやっていなかった人も、パワサカによってパワプロを新たに始める人は少なくないのではないかなと思います。しかも無料ですし、絶対プレイしてもらいたいアプリです。今年中には発売されるといわれていますが、いつになるのでしょうか今年1押しのアプリです。

もっと詳しく知りたい方は公式ページに行ってみてください!!!
ムービーなど、キャラクターの詳しい情報も書いてありますし、最新情報が分かります。是非チェック!!!!

以上でおわりたいと思います。
最後までありがとうございました。

興味を持たれた方はお気軽にお問い合わせください。

第4話 サッカーゲーム

皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
記事は今回で4回目、徐々にこの記事作成にも慣れてきました。

今回は、サッカーゲームの中でも有名なウイニングイレブンについて書いていこうと思います。

私は、ゲームやっている中で一番プレイしているのは・・・はい。有名なウイニングイレブンです。

これは本当に面白い!!!最近のウイニングイレブンはどんどんリアルになりつつあり、本物のサッカーのような迫力があります。
選手の顔も本当にリアルで、本物そっくりに仕上がっています。またPS3やPS4なら写真を使って選手の顔を作れたりするので、自分の顔そっくりな選手でプレーすることも可能です。
これはクリスティアーノ・ロナウドです。そっくりじゃありませんか???
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また最新のウイニングイレブンはですね。ドリブルするときの動作、シュートするモーション、ゴールを入れたときのパフォーマンスが選手によって違うのです。そしてそのすべてが現実の選手と同じであり本物の選手を動かしているように感じることができるのです。サッカー好きにはたまりませんよね。

今は、ゲームセンターにもウイニングイレブンのゲームがあります。ゲームセンターに行くときあったら是非プレイしてみてください。ハマります!
画像はこちら↓↓↓↓↓
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このゲームは本当にやりこんでいるので誰にも負ける気がしません!!
自信がある方は私に挑戦してきてください(^^)
たぶん私から1点もとれないですよ♪

ではウイニングイレブンの初代はいつなのか調べてみました。
一番初めは、1995年7月21日にPlayStationにおいてシリーズ第1作の『Jリーグ実況ウイニングイレブン』が発売されたのが初めであり、1996年3月15日に『ワールドサッカーウイニングイレブン』が登場してからは、世界のクラブチームと世界各国の代表チームを中心にプレイできる「ワールドサッカーウイニングイレブン」がすぐあとに発売されたのである。
この初期のウイニングイレブンの画像がこれです。
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画像は荒いですがこのときからサッカーゲーム界では頭一つ抜けている状態だったそうです。
いままでウイイレシリーズはおよそ50種類ほど発売されており、発売されるごとに新たな機能が追加されウイイレ好きにはたまらないのです。
是非一度でいいのでプレーしてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、9/15にウイニングイレブン2017が発売予定なので気になった方は買ってみてください。損はしないですよ!!
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興味を持たれた方はお気軽にお問い合わせください。

第3話 任天堂の歴史

皆さんこんにちはインターン生の利岡です。
本日は第3話書いていきたいと思います。

ちょっとその前に私、ポケモンGOにとんでもなくハマっていまして、こないだ野生でカビゴンに出会ってときは思わず1人で声を上げてしまいました(笑)
実は、今はミニリュウが凄くほしいんですよね~たまーに出てくるんですが、ぜんぜんアメが集まりません。
こないだまですぐそこの世田谷公園にいたんですが・・・今はどこにいるのやら・・・早くたくさん捕まえてカイリューにしたいんですけどね・・・あーくやしい。

いつも関係のない話してすいません。では話はじめたいと思います。

やっぱりゲームといったら任天堂って私は思うのですが皆さんはどうですか?少なくてもゲームを別にしない人や大人でも1度はいや何度も聞いたことあるのではないでしょうか。
そしてほとんどの方が任天堂のゲームをやったことがあったり、またお家に任天堂のゲームがあるのではないでしょうか??私の家には、スーパーファミコン、NINTENDO64,ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブと様々な任天堂商品を持っています。
この誰もが知っている任天堂の今日は知ったら話したくなるような歴史について話していこうと思います。

まず初めに任天堂っていつできたの???という話からです。

実は任天堂の歴史はとても深くなんと創業は1889(明治22)年、有名な工芸職人だった山内房治郎が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌」を創立、花札の製造を開始したのが始まり。花札の裏に「大統領」の印を押した「大統領印の花札」は関西の賭博場で広く使われた。プロの博打打ちは勝負のたびに新しい花札を使ったから、任天堂の花札は良く売れたのです。1902(明治35)年に日本で初めて国産トランプを製造したのも山内房治郎である。
このときはゲーム機などが無い時代なので任天堂は初めはカードゲームの会社であったのである。

しかも花札!!これはなかなか知らなかった話ではないでしょうか??

が、その後70年間はいいもの生み出せずにいて何度も倒産の危機に立たされていたのです。

しかし1983年、任天堂は皆さんご存知であるテレビゲーム「ファミリーコンピュータ」(略称:ファミコン)を発売した。テレビにつなげると、ブラウン管の画面を利用してさまざまゲームが楽しめるカセット式ゲーム機である。山内は粗悪なソフトに依存しなければ成功すると判断して、独自のソフトを開発した。任天堂は最後発のテレビゲーム機メーカーで、「もう遅い」との声が高まるなか、山内は一気に100万台を超す大量生産を決断、販売価格を1万4800円とした。3~5万円はする他社のゲーム機の半値以下という破格の値付けだった。

ファミコンは、子供たちの間で爆発的な人気を呼んだ。ファミコンの大ヒットで、任天堂は黄金期を迎えた。花札とトランプをつくっていた同社は、「ゲームのニンテンドー」へと大変身を遂げたのである。

その後は皆さんがご存知のようにNINTENDO64,DS,Wiiなどを発売し世界に冠たる優良企業に成長し、誰もが知っている企業へ成長してのである。

また、社長の山内だが、個人としては、92年、大リーグ、シアトル・マリナーズの筆頭株主になり、イチロー選手の活躍でオーナーとしての存在が脚光を浴びた。「イチロー獲り」はオーナーだった山内が直接、指示したといわれている。

これはなかなか知らない話だったんではないでしょうか。
長かったですが最後までありがとうございました。

次回は自分の好きなゲーム、そのゲームの歴史について書いていきたいと思います。
お楽しみに~~

参考文献
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2976.html

興味を持たれた方はお気軽にお問い合わせください。

第2話 携帯型ゲームの歴史

皆さんこんにちは!!!インターン生の利岡です。
本日は第2話!頑張っていきたいと思います。

今年のオリンピックはメダルラッシュでしたねー感動するような場面もたくさんありました。夜中起きてテレビにほぼ毎日食いついていました。
私、実は中学生の頃からラグビーやっておりまして今回の7人制ラグビーも期待していて見ていました。結果4位でメダルこそならなかったのですが予選で優勝候補の世界ランキング1位のオールブラックス(ニュージーランド)に勝利したりと大盛りあがりでした。是非ラグビー見た事無い人は一度でいいので見てみてください。ルールなんかわからなくてもあの迫力、熱気をみたら誰もが熱くなり見れるスポーツだと思います。機会があったら是非是非♪

話を戻しまして前回の続きをしたいと思います。
今回お話したいのは日本で最初の携帯型ゲーム機の話です。

携帯型ゲーム機って私が子供の頃などに初めて出来たものだと思っていましたが、実は私が生まれるもっと前!今から36年前の1980年に初めて日本で携帯型ゲームが発売されていたのです。

それ、何だと思いますか???みなさん今も知っているあの人気キャラクターのゲームです。

おそらく、今の小さい子供たちも知っているキャラクターですよ~!!!
みなさんなにか気になりますよね・・・・・・・・・・・ですよね気になりますよね。

ヒントは大〇闘スマッシュブラザーズにでてくるキャラクターです。

これで分かりました???そうです!このゲームです

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任天堂開発による初の携帯型ゲーム機であり名前は「ゲーム&ウォッチ」
簡単な説明をするとゲームソフトは本体内のROMに書き込まれた「1ハード1ソフト」であり、その後のゲーム機のようにカートリッジ交換で様々なソフトを実行することはできない。タイトルの多くは、難易度が低めのGAME Aと高めのGAME Bの内どちらで遊ぶかを選択できる。この選択方法はファミリーコンピュータの初期タイトルにも使用されている。ゲームをしない間は時計として使え、これが商品名「ゲーム&ウオッチ」の由来である。後に、アラーム機能も付くようになった。しかし時計としてつかう人はまったくいなかったそうです。。。

当時の値段はおよそ6000円!今のゲームの値段とあまり大差ないですよね。コストも前回のゲーム機よりかからなくなっていて日本のゲーム制作の技術が上がっているのが分かると思います。この「ゲーム&ウォッチ」はなんと1260万台の大大ヒットしました。

これをはじまりとして、携帯型ゲーム機はどんどん発売されるようになり、そんな中、任天堂は携帯型でソフトを入れ替えて遊べる「ゲームボーイ」
を発売し、携帯型ゲーム機の市場を開拓し、豊富なゲームソフトを武器に任天堂の優位な携帯型ゲーム機の時代が続いていくのであった。

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次回もお楽しみに~(^^)////

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